アニメとかの感想書留

Twitter「@kanso_na_kansou」https://twitter.com/kanso_na_kansou カテゴリー一覧http://animekanso.hatenablog.com/entry/2016/04/07/124605

感想「ありがとう!また会う日まで」

先日「どれみと魔女をやめた魔女」の感想を書いたときに、最終回について色々思っていたことを思い出したので書き留めておきます。

 

おジャ魔女どれみの最終回は、どれみが卒業式をサボる話。登校する途中で、この三年間で積み重ねた何もかもがこの卒業式を機になくなってしまうことに気付いて逃げ出したんですね。で、引っ越しの準備をしているMAHO堂に逃げ込みました
魔女見習いの仲間やクラスメートたちは、「ま~たいつもの遅刻か」と思っていたんですけど、いつまで経ってもどれみが現れないので「あれ?」と思う。
そこに時間を止めて現れたのがマジョリカで、マジョリカはどれみが学校をサボっていることを魔女見習いの皆に教える。魔女界の女王様ことユキ先生は、この場は私に任せて、と言っておジャ魔女のみんなをどれみのもとへ向かわせる。
それからどれみの居るMAHO堂おジャ魔女の皆やクラスメートたちが駆け付けて、どれみが学校に来るように説得する、という話になります。

 

う~ん、多分ファンサービス的な話だと思います。四年間で登場したゲストキャラたちの出番をふんだんに使おうと思ったらこういう筋書きになるのかなと。

 

まあ、それとは別に、実は私、この話が結構中々苦手なんですよね。

 

というのも、「どれみが卒業式を休んでしまうのも、アリなのではないかな」と思ってしまうからです。

 

そもそも「どうして卒業式が必要なのか」っていう話になりますけど、ぶっちゃけ、エンターテインメントですよね。意義があると思っている人は、卒業式っていう思い出が欲しいだけです(多分)。
勉強も教えて貰わないわけだし、校長先生のありがたいお話も週一で聞いてるから別に改めて聞く必要も無いでしょう。卒業式でしかできないことがあるとすれば、写真撮影会くらいじゃないでしょうか?

 

卒業式自体には目的があるわけでも何でもありません。

 

楽しむための行事なので、楽しめないのなら休んでも別に大丈夫なのでは?という考えです私は。

 

ところで、どれみの場合は、他の魔女見習いたちとは少し状況は違います。
あいこは両親が再婚してくれたので、おじいちゃんの介護も含めてこれから一緒に幸せを作る努力をする。
葉月は得意なバイオリンの道を究めたいと思っている
おんぷは、サクヤさんという自分がなりたい女優増を見つけた。それに向かって頑張りたい。
ももこはお父さんとお母さんについてアメリカに行く。特異なスイーツ作りを続けたいと思っている。
ハナちゃんは、魔女界の女王になって、人間界と魔女界の交流をマジョリカと一緒に頑張る。
というように、それぞれがこれからの生活に関して明確な希望や目標を持っているにも関わらず、どれみにはそういったものって一切無いんですよ。得意なことも特に無いし。
四年間楽しいこと、辛いこともたくさんしてきましたし、それは確かにどれみの中の財産になっているんでしょうけど、魔女になることをやめて人間になる道を選んだ時点で、この四年間の積み重ねも全てゼロになったことになります。
どれみの場合、卒業イコール本当にまっさらな野原に放り出されることなんです。積み重ねたものが大きいほど、反動は大きいでしょうね。

 

そんな状態、いい歳した大人でも心が不安になります。

 

どれみにとっての卒業式っていうのは、処刑宣告みたいなもんです。

 

一方、他の魔女見習いたちにとっては、新しい希望が芽生え始める春の息吹、といったところでしょうか。
そりゃ卒業式が楽しいでしょうし、思い出を作りたいと思うでしょうね。

 

ついでに言えば、卒業式が楽しくない人の気持ちが分からないでしょうね。

 

他の魔女見習い…というかどれみ以外のキャラと、どれみの心情の違いは台詞に如実に表れていたと思います。

「どれみちゃんの居ない卒業式なんて」「どれみちゃんが出ないなら…私出ない」というような魔女見習いたちの台詞が良い例でしょう。あと、ステーキで釣ろうとした家族や、ハナちゃんの「どれみが卒業式に出ないならハナちゃんの秘密を皆の前でバラす」もね。
「学校が大好き」とまで言っていたどれみが卒業式を放棄する心境を理解するよりも、いかにしてどれみを参加させるかっていうところに焦点が当てられているんですよね。

 

これにはざっと二つの可能性が考えられると思いました。

 

・「どれみが卒業式に参加しない」っていう現象は彼女たちにとっては問題なんだけど、どれみが内心どう思っていようが問題じゃないってことです。
・「卒業式=楽しい」という揺るぎない前提があるので、どれみが卒業式に参加さえすれば万事解決すると思っている。

 

どっちも中々厄介なパターンだと思いますけど、私は前者の方ではないかと思っています。

 

はっきりとした根拠は無いんですけど、「どれみちゃんが参加しないと、思っていた(楽しい)卒業式と違ったものになってしまう」っていう悲劇的な感情を読み取ってしまったもので(^^;

 

 

どれみにとって良い卒業式とは何だったのか
まあ最初にチラッと書いたように、四年間の締め、っていう部分が大きい最終回なので、お話として盛り上げようとするとああいう展開になってしまうのは必然なのかなとも思います。

 

だからここで、お話の都合を取り敢えず考えないで、どれみにとってあの一日を良くするためにはどうするべきだったかを考えようっていう話ですが…

私は、取り敢えずサボらせておいて、あとでささやかな卒業パーティーをする、のが正解なのかなと思います。

 

卒業式をサボるっていうのも、個人の大きな決断なので、意思を尊重してあげたいなと思いました。
卒業式が良い思い出になるのか悪い思い出になるのか、それは個人の意味づけの結果だと主張したように、「卒業式をサボった」思い出も、その後の本人の人生の過ごし方で良い思い出にも悪い思い出にもなると思っています。
どうせどっちに転ぶか分からないなら、取り敢えずは本人の気持ちを尊重してあげたいなと。

 

しかし、あの四年間が何の実りも残さなかったと、どれみに思い知らせてやるのも残酷です。どれみがいないと成り立たない特別な場を設けて上げることが必要なのかなと思います。別に盛大にやらない質素なものでも、本当に親しい人たちが集まってするものなら、十分どれみの心の支えにはなると思います。

 

結論
卒業式は卒業式。出ても出なくても大した問題じゃないので、それよりも今の自分を大切にしよう。

感想「どれみと魔女をやめた魔女」

おジャ魔女どれみどっか~ん。


私が物語を好きになった一つの作品でもある。なんかこの季節の境目の時期になると、思い入れが深い作品のことをふと思い出してしまうんですよね。

というわけで、本日は気まぐれで「どれみと魔女をやめた魔女」の感想を書こうと思います。

「どれみと魔女をやめた魔女」は、4シリーズ続いたおジャ魔女どれみという作品の中の最後の4シリーズ目の40話にあたる作品です。
どういう話かと言うと…


魔女見習いのどれみはある日、「みらい」という名前の魔女と出会う。どれみはこれまでの4年間の中でたくさんの魔女と出会って来たけど、みらいさんは「不思議な人(魔女)」という風に感じる。どれみはみらいの家に通い詰めるようになる。みらいからガラス工芸を教えて貰いながら仲良くなっていく。
どれみはみらいに自分の悩みを打ち明けるようになる。友達は将来の夢や光る才能を持っているのに、自分だけがまだ何も見つけられないという話をする。みらいは「見つからなくていいじゃん」と言う。
どれみはみらいの家で、ドレッサーの鏡にたくさんの写真が貼られているのを見つける。その写真はみらいの宝物らしい。写真には、色々な国の色々な人が映っていたが、みらいは国から国へ、町から町へとすぐに越してしまう、という生き方をしているらしい。(人間とは壽命の違う)魔女は、そうしていた方が不都合が生じないのだという
そして時間は経ち、ついにどれみは、グラスを作ることに成功する。しかし、みらいは明日には越してしまうという。みらいはどれみに一緒に来ないかと誘う。
一晩どれみは悩んだ。
夕方になり、一緒に行く決意をしみらいの家に向かったが、どれみが着いた頃にはもう引っ越しは終わり家はもぬけの殻。みらいさんと一緒に撮った写真、そしてどれみのつくったグラスが「またどこかで会いましょう」というメッセージと一緒に残されていた。


というような感じ。

好きなところは、やはりみらいさんのキャラクター。
人との思い出を大切にしているけど自分は永久にその大切な人たちの部外者、っていうみらいさんの生き方は、魔女の生き方の光と影を端的に表していて本当に好きなんですよね。
おジャ魔女どれみシャープの「魔法を使わない魔女」で出て来た魔女(名前は忘れたけど、マジョハートの娘)は、人間界でマジョハートとの過去の幸せな思い出を根拠に「人間界は魔女界には無い良い物がある」ってかなり強いあこがれを抱いている魔女。一方、時間の感じ方の違いで婚約者と結婚できなかったマジョドンは、そのときのショックから「人間なんて最低の生き物だ」って言い続けていた。前者の魔女は、人間界の良い部分しか最初から見ようとしていなかったし、マジョドンは逆に、悪い部分しか見ようとしていなかった。でも、魔女が生きていく上での両方の側面を正視した上で、人間界で生きていくっていう考え方をしている魔女が、この「みらい」という魔女のような気がするんですよね。

おジャ魔女どれみシリーズで、人間と魔女の寿命の違いが悲劇の源でした。特に最終シリーズのどっかーんでは大きく取り上げられた問題で、心優しかった先々代の女王様がマジョガエルの呪いを魔女界に残した過去がかなり詳しく描かれており、「人間と魔女が手を取り合って幸せを作り上げるみらいは来るのか」という問題に直結することだったと思います。先々代の女王様の呪いは最終的に解かれ、女王様が希望を抱いて人間界に赴くラストでこの話は幕を閉じましたが、正直、私としては「また同じ悲劇を繰り返すのではないか」という疑問は拭い去れませんでしたし、人間と魔女が共に過ごす未来、というのが具体的に想像できませんでした。
しかし、みらいさんの生き方は、その疑問に一つの大きな答えをくれたような気がします。
やはり、二つの種族の寿命の差は埋められず、そこから生まれる悲劇を防ぐことはできない。しかし、かつて先々代の女王が見出したような温もりが人間界にはあることも事実。みらいさんの生き方は、この両方の側面と向き合った上での、一つの魔女と人間との共存の仕方なのではないでしょうか。

ところで、あらすじを書くにあたって大分省略してしまったのですが、この「どれみと魔女をやめた魔女」、台詞の言い回しがものすごく好みなんですよね。
というわけで、以下にまとめてみました

 

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みらい「ガラスってね、冷えて固まっているように見えて、本当はゆっくり動いているのよ。この海の水みたいにね。ただし、何十年も、何百年も、何千年もかけて、少しずつゆっくりと。あんまりゆっくりなんで、人間の目には止まっているようにしか見えないだけ。でも、何千年も生きる魔女はガラスが動いているのを見ることができる。いずれ、私も、それを見る」
魔女の寿命を例えた言葉です。詩的で、非常に本質を突いてますよね。
おジャ魔女どれみにおける魔女は、水晶玉を使って魔法を使います。また、水晶玉は魔女の証で、命の源でもあります。
ガラスがあまりにもゆっくり動いていて人間の目には止まって見える…比喩のようで、案外直接的な説明でもあったりするんですよね。
スゴく好きです。

 

 

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みらい「この人は…二日しか一緒にいなかったけど、少し、好きになりかけた人」
どれみ「すてき」
みらい「でも、やめた」
どれみ「なんで?」
みらい「私、年上が好みなの」

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みらい「ヴェネツィアの知り合いがね、こっちに来て勉強してみないかって言ってきてくれたの。彼、もうすぐ90なんだけど、彼にガラス教えたの、実は私なんだ」
どれみ「え、それって…」
みらい「彼がまだ私より年下に見えた頃の話。それが今では、私よりもずーっと年上になっちゃった」
人間に恋をする魔女は今までも登場しましたけど、恋をしつつやめるという選択肢を取った魔女は、実はみらいさんだけだったりする。
二日しか一緒にいなかったのも、好きになりきってしまう前に逃げたのかも…?

 


みらい「彼は今、私の事を昔好きになった人の娘や孫だと信じてる。だから、私も、彼が昔好きだった人の娘や孫を信じ続ける。魔女にはこんな生き方もあるのよ、分かる?」
この台詞について余計な説明は要らないですね。

 

 

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みらい「あなたは人間で、まだ魔女見習い。魔女の世界を知っているようで、実は、ガラス越しにしか見ていないようなもの」
私もこの作品の魔女については見えているつもりでいましたけど、見返すたびに、案外見えてなかったのかもしれないな、と思い直します。
みらいさんは背景が語られているようで、語られていないキャラ。なぜ人間の世界で暮らしているのか、その状況や心情はみらいさんの口からは一切語られてないんですよね。

 

 

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みらい「ねえ、あした必ず取りに来て。明後日じゃダメ。明日、必ず」
みらいさんが越してしまうことを明確に表した言葉。
うまく説明できないけど、この言い回し、スゴく好き。

アプモン48話感想

起動! 人類アプリ化計画!

はい、前回は大空勇仁がアンドロイドであることが明かされ、そしてブートモンが彼の手に落ちたところで終わりましたね。
今週はその続きということで。
今週の見どころは、まあ引き続き勇仁のビックリ展開と、そして人とバディアプモンの友情(?)ですかね。
まずは今週のビックリ展開の方から。コチラ↓をご覧ください

 

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はい、勇仁の涙。でも、両親の呵責に苦しんでの涙とかいうわけでもなく、ハルの望むような行動をとるようにプログラミングされているから涙を流しているだけみたいです。
この涙のお蔭で、今までの全てが嘘だった、という友人の言葉にかなり説得力がでました。
しかし、28話からの勇仁に視点が当てられた話のことを考えると、ハルがいない場所で主体性を持って動く勇仁が描かれていたので、流石にこのままでは終わらないと思うんですけどね~。どうなるんでしょうか。

しかし、この路線を徹底するにしても、案外納得できてしまうんですよね。
というのも、勇仁とハルの関係ってちょっと歪だなって感じていたんですよ。前回の感想にもチラッと書きましたけど、勇仁がハルに依存する理由は作中でかなり語られているにも関わらず、ハルが勇仁に特別な思い入れを抱く理由って今までに描かれたことが無いんですよ。
もしもそれが、勇仁がハルの望む行動を取り続けたからという理由だったとすると、それはそれで筋が通ってしまうので。


そして次に注目するのは、バディアプモンとの会話ですよね。それぞれの関係性が表れていて良い会話だったと思います。
まずはドカモン&エリの組み合わせから。
いつも勢いだけは一番のエリが、命を懸けた最終決戦を前に尻込みしてしまうけど、ドカモンは「エリちゃんは無理しないでワシだけで頑張る」というシーン。ドカモンは最初から謎なくらいエリにメロメロでしたけど、ここに来て本当にエリのことが好きなんだな~と認識しました。遅いかもしれないけど。
そしてミュージモンも、「アストラに感謝を伝えてみた」とアプチューブの動画風に気持ちを伝えるなんて、結構粋なことを思いつきますね。無理に茶化したりせず、また、変にシリアスにならないところも良いなぁと思いました。メインシナリオでは後半になるほど空気になりがちでしたけど、前半、バディアプモンとの関係に焦点が当てられて話が描かれていたときは、この二人が一番「人間とアプモン」っていう特殊な友情を描けていた感じがして好きだったんですよね。ということを思い出した一幕でした。
最後はハックモンなんですけど、彼(?)は殆ど存在感無し。はじめくんに出番を奪われていました(笑)まあでも、レイに助言するハックモンもブレてなかったし、二人の関係を描くにしても台詞は殆ど無いでしょうから割と落ち着くべきポジションなのかも?意外とハックモンの魅力が掘り下げられるのは日常回だったりする。いつも楽しそうにしているけど日常回では空気なミュージモンたちと、いつも静かだけど日常回では結構中々な存在感を放つハックモンと、ある意味対照的なキャラかもしれない。

主役のハル&ガッチモンはこれから、といった感じです。
う~ん、どうなるんだろう。
個人的な好みを言えば、勿論勇仁の問題も大切なんだけど、しっかりガッチモンとの関係も描いてほしいなぁ。


今週のキャラクターピックアップ
ハル
今週は動揺のあまり役に立ってませんでした。
5年以上も一緒に過ごして来た友達がアンドロイド、しかもスパイだたらそうなるのも確かに分からないでもない。


エリ
本当に最後の最後の方で好感度が急上昇したキャラ。
今週の最後の方の極みアプリアライズの時に、アプリドライブに「誰かを笑顔にしたいですか?」という、彼女がアプリドライバーに選ばれたときにされた(よく分からない)質問が再びされました。他の二人もそうですけど、迷いなくYES。
最初の方は、「誰かを笑顔にしたいですか?」って質問が輪郭があいまい過ぎてよく分からない&YESorNOで答える意味が分からないっていう二点から、本当によく分からない展開ってイメージしかなかったんですけど、エリの過去がある程度掘り下げられた今では、エリの本質を突いた言葉でもあったのかな、とは思います。
質問の意味は分かりませんが(笑)
ドカモンと一緒に、ゼウスモンをドッカンと撃退して欲しいですね!!
と書きつつ、「エリがゲームのボタンを押してドカモンにパワーを与える」という、初登場のときの一回しか使われなかった謎の設定があったなと思い出しました(笑)


アストラ
やっぱりアストラ君、ミュージモンとセットで初めて一つのキャラとして完成するんですよね。他のバディたちと比較すると…とかそんな次元じゃなく、ミュージモンとアストラの関係は凄く分かりやすいです。やはり登場回の完成度がここまで影響を残しているような。
後半で失速気味だったのは、ミュージモンをおいてけぼりにアストラだけに注目して過去を掘り下げたからじゃないのかな?とふと思いました。


レイ
今週も弟にメロメロでした。


はじめ
レイよりも高い能力を持ち、しかもコミュ力も以上に高いです。
大空勇仁がアンドロイドだった、とレイが告げたことでエリもアストラも混乱し、ちょっと険悪モードに。ここに絶妙な間合いで指示を入れて収拾をつかせたのがはじめくんでした。恐るべしスーパーショタ。
たまごやきの練習をしてお兄ちゃんを待っているそうです。
残されたレイの唯一のポジション、卵焼き係まで潰しにかかりたいそうです(笑)
冗談ですよ


勇仁
本日の勇仁(二枚目)↓

 

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その服!!すごく悪者っぽい!!!!
最後の最後で笑わせてくれた勇仁でした。

 

 

 

 

アプモン47話感想

勇仁の真実

あんまり関係ない話

今週は大きく話が動きましたね。


ハルの親友、勇仁がアンドロイドであることが明かされ、また、ブートモンが勇仁の手に落ちました。この回を観た視聴者のほぼ全員はこう思ったでしょう、「知ってた」。

 

勇仁が人工知能なことはそもそも作中で隠す気が無かったので皆が予想していたことだと思いますけど、それでも割とショックは大きかったのではないでしょうか。私は結構ショックでしたよ。主人公のハルになんか感情移入してしまいました。
しかし、ちょっと我ながら、何故ハルに感情移入してしまうのか不思議でした。作中の空気キャラの筆頭のハルには、感情移入できる要素って何かあったっけ?という疑問が浮かびました。
答えはすぐに見つかりました。それは、ハルっていうキャラクターは、勇仁絡みの話では空気ではない、ちゃんと意思を持ったキャラクターとして描かれているからですね。
オフモンが参戦し、友人がアプリドライブDuoを手にした28話からしばらくは、勇仁やオフモンに焦点が当てられて話が進んでいくことになりましたが、勇仁の視点で、ハルは強く優しい人物であることがちゃんと語られていました。それまでの展開でも、見た目の印象や台詞から何となく「優しい」スタンスのキャラクターなんだろうなぁと思うところはあっても、あくまでも記号的なキャラ付けであるといった印象はぬぐえなかったんですね。でも、この辺りの勇仁関係の話で、そういった表面的なキャラ付けにも裏付けが取れたわけです。

 

ところで、私は物語を読んだり観たりするときは、常に意識しているわけではありませんが、キャラクターがどう描かれるかっていうところに焦点が当たります。実を言うとこれは、私が面白くないと感じた物語を後で分析すると、共通してキャラクターに中身が無いことが挙げられるというだけの話です。
でも、生きたキャラクターを描くことって凄く難しいんですよね。
例えば「悲惨な人生を歩んできた主人公だけど、自分の力で這い上がって幸せを手にする」ってストーリーだとしても、まず、物語として説得力を持たせようと思った場合、主人公の悲惨なバックグラウンドを説明することは難しいです。
例えば物語の冒頭で言葉で「主人公は幼い頃は貧乏していたので、毎日食べるものが無くて、お風呂にも入れなくて、殺人事件の濡れ衣を着せられて…」と説明されても、読者の感情に響くことは無いですよね。ふ~んと思うだけです。
状況を更にエスカレートさせてみて、例えば、「主人公は毎日ゴキブリを食べて生きてきた」とか言ってみたところで、やはり読者(というよりも私)の感情には響きません。
いや、確かに悲惨なんですけど、これらの事を悲惨だと感じるためには、まず主人公に感情移入する必要があるんですよね。だから、感情移入させるための説明としては不適切なわけです。

 

自分で書いていてゴチャゴチャしていると思ったので、言いたかったことを簡単に纏めると、

 

キャラ付けが読者の感情移入を呼び、その結果、物語の中で主人公が巻き込まれる波乱に読者も共感してしまう。

 

っていうことです。
アプモンではない他のアニメの愚痴も含みますが、この辺りの順序を間違えてしまうと、主人公がどんなに世界をまたにかけるような凄いことをしようとしていても、つまらない物語が完成してしまうんですよね。

 

さて、ここでアプモンの話に戻りますが…
キャラ付けをするためには何をしたらいいんだろう?っていうことを考えた時に、キャラクター同士の交流や関係性を描くことが一番なのではないかな、という結論に至りました。
勇仁が本格的に物語に絡んでくる28話の前の話でも、ハルは困っている人を助けるために奔走する展開はよく見られましたが、勇仁視点で「新しい学校で独りよがりをして孤立してしまったところ、クラスの皆と馴染めるように仲介してくれたのがハルだった」「遠足で間違った道に皆を連れて行って責任を感じているとき支えてくれたのがハルだった」っていう話が語られた時の方が、ハルの「優しさ」がどういったものなのかといったところも含めて説得力がありました。

 

また話が飛びますけど、物語の原理原則は人の感情なんですね。因果関係は、社会情勢などではなく、人の感情なんです。勿論社会情勢なども綿密に調べた上で書かれる小説などもありますが、そういった物語も含めて、よくできた小説は物語の因果関係が人の感情で結ばれているんです。

 


キャラクターピックアップ
ハル
ドッキリ展開にはドキドキしたものの、やっぱり終始何を考えているのかイマイチはっきりしない彼。
勇仁を疑っているのか、疑いたくないけど心のどこかで疑ってしまっているのか、それとも本当に信じているのか、そこら辺がよく分からない。
考えてみれば、勇仁がハルに依存する理由はあっても、ハルが勇仁に拘る理由って無いんですよね~。大事な親友って言われても、具体性がちょっと…

 

アストラ
う~ん、今回も空気

 

エリ
11111111/9=1234567.8
むか~し、トリビアの泉で見たことがあるようなないような。
ブートモンをびっくりさせるために身を張ってかなり頑張っていましたね。う~ん、女の子でここまで身を張って頑張るキャラって珍しいかも。
最終的にはブートモンをメロメロにしていましたけど、変なデジモンにばかり好かれますね、彼女(笑)

 

レイ
この方も…ハルたちのことを何と思っているのかよく分からない。
ハルに勇仁の正体について忠告してくれましたけど、ハルを心配してのことなのか、リヴァイアサンの野望を阻止するための連絡なのか、そこら辺がよく分からない。、
正解は多分、何とも思ってない、かな(笑) 弟さん以外本当にどうでもいいみたいですし。
弟さん良い子でハルたちに協力してくれるから今は友好的で力強い味方ですけど、弟さんがヤなやつだったら、結構とんでもないモンスターブラザーズだったりして。
とどうでもいいことを思ってしまった。

 

はじめ
有能すぎ。そして明るくて礼儀正しい。レイが溺愛するのも分からんでもない。
天才らしいので、性格の良さも全部計算だったりしてね。なんちゃって。
まさかここまで有能だったとは思わなかったし、話の本筋に絡んでくるとは思わなかった。
そして、やはりハッカーとしてのお兄さんの出番を完全に食ってるっていうね(笑)
どうでもいいけど、レイやはじめのプログラムって、プログラムの次元を超越していて、ファンタジーの魔法の類だよね。できないことが無さそう。

 

勇仁
てっきりアプモンみたいな感じでリアライズしているのかと思っていたから、ガチガチのアンドロイドだったことにビビった。
人格が二つあるっぽい…?
ガッチモンの声優さんによると、来週は感動展開らしいですよ。

 

ブートモン
ジャイアントベイビー
かなり濃いキャラだったけど、今回で出番も終わりかな。勿体ないけど。
心が赤ん坊なのに逃亡生活を強いられるとか、純粋にちょっとかわいそう。

 

ガッチモン
毎度思うけど、ご飯食べにくそうな手ですよね。
ご飯食べる必要がそもそも無いかもですけど。好物がガッチモナカでよかった。ラーメンとかだったら大変。

 

ミュージモン
う~ん、特筆すべきことはなし。

 

ドカモン
やはり特筆すべきことはなし。
エリとの関係が今だにちょっと掴めない笑

 

オフモン
かわいい。ブートモンを攻撃する直前に一瞬戸惑った彼(?)。
さて、他のアプモンと人間のバディよりも、より強い絆で勇仁と結ばれている彼ですけど、これからどうするのでしょうか。 

アプモン46話感想

アストラのメイン回

 

色々思うところはあるのですが、一言で纏めると

 

もしかしてこれで終わり!?

 

とちょっと戸惑っています。

作中のモンスターの動かし方は生き生きとしていて観ていて面白いと思いましたが、もしもこれがアストラの集大成の話だと言うならまたちょっと事情は変わってきます。

でも現段階ではまだ何とも言えないところがあると思うので、最終回ら辺にまとめて書こうと思います。

アプモン45話感想

大激突!?ガッチモンVSアグモン

 

今週はあらすじの方から先にざっくりと紹介します。今週はあらすじの方から先にざっくりと紹介します。


・ゲームのキャラクターが暴れ出して大騒ぎ

     ※どの事件にもアグモンが関わっていることが分かる。

     ※アグモンは、ハルにとっても思い出が深いゲームのキャラクター

 

・レイとはじめの調査の結果、暴れているゲームのキャラクターはブートモンを探していることが分かる。一連の騒動は、リヴァイアサンがブートモンを誘い出すための罠。


・ハルたち一行は、リヴァイアサンがブートモンを誘い出そうとしているポイントに行く。なんだかんだでみんなとはぐれてハルは独りでそこに行くことに

 

アグモンと遭遇。アグモンはおかしくなってしまったゲームキャラクターの皆の目を覚ますために頑張っていることが明かされる。

     ※このアグモンは、春のプレイデータのアグモンらしい

 

アグモン(後にウォーグレイモン)と一緒に、ゲームキャラを操っているアプモンを倒す。

 

アグモンとの別れ


という感じ。

そう、今回はサービス回です。過去作のデジモンアグモンがゲスト出演しました。まあ、過去作のキャラが登場するのはデジモンでは比較的よくあることです。

いやしかし、今回アグモンが登場したことで、「そういやこれって一応デジモンシリーズだったんだな」って思い出しました。アプモンは他のシリーズ作品と比較しても話の作り方が異色な上、過去作のキャラクターがデジモン含めて一切登場しないので、いつの間にか完全に別アニメのように認識してしまっていた。

アプリドライブの力を一切借りずにアグモンをウォーグレイモンに進化させてしまう展開とか色々、アプモンというアニメの根本を揺るがしかねない展開も見受けられたんですあけど、比較的にきれいに纏まっていたし、自分が愛着を持って育てた自分だけのセーブデータを持つゲームキャラと交流することができるっていう内容は夢があっていい内容だなと思いました。

坂本千夏さん(初代デジモンアグモンの声優さん)ボイスのアグモンは特に人懐っこい感じが表れていてかわいかったですし、初代のファンとしても嬉しく思いました。

 

まあ今回の感想はこんな感じで終わりです。こういう話は、物語としての面白さとは違ったモノが求められているのでね、話自体に長文でアレコレ書くのも野暮だと思いましてこれくらいにしておきます。じゃあ何が求められているのかっていう話になると、イベント性ね。視聴者が求める「もしも」を見せるっていうのがポイント。しかしやはり一応物語の形は取っているので、キャラクターとしての魅力を掘り下げるような描き方はしていないといけないんですけど、まあそこは先述したように夢があってアグモンの魅力が再現されていたので、よくできていたと思います。

 

って書くとなんか生意気ですけど。

 

ただ、一つ突っ込むとすれば、私がアグモンだったら「ハルのヘタクソなプレイで何度もボコボコニされたじゃねーか、積年の恨みを喰らえ!!」とでも言ってしまいそう。

昔から、「動物さんとお話しできればいいよね」っていう話とかを聞くと、反射的に「『もっと美味い飯寄越せ』って言われたらどうしよう」とかそっち方面で考える性質なもので。へへへ。

やはり、夢は夢だから夢なんですね。

アプモン44話感想

逃亡者・ブートモンを追え!

感想
一話完結の形に落とし込むために無理矢理な選択をハルにさせてしまったな。というのが今回の感想でした。
というのも、あるワンシーンを観て感じたことです。今回の話を観た方ならピンと来ると思います。そう、ダメダモンの暴走を止めるか、ブートモンの捜索を続けるかの二択の選択をするシーンですね。

 

ここで、今回の話を観ていない人、自分が感想を読み返したときのために、もう少し具体的な内容について追って説明することにします。

 

前回は一(はじめ)君が救出されて、リヴァイアサンは人類アプリ化計画を企てていることと、その計画には強制起動のアプリのアプモン、ブートモンの力が必要不可欠なことが語られました。今回は、一君の力を借りてブートモンの捜索をする話でした。
一君の指示に従って、主人公のハルたちは無事にブートモンのところに辿り着くことができるのですが、ブートモンはガッチモンたちの気迫にビックリしてしまいます。一はブートモンに、いざという時のために緊急脱出プログラムを組んでいましたが、ビックリした弾みにそれが起動してしまったようです。
ロケットのように空の彼方へあっと言う間に飛び去ってしまったブートモンは、あらゆるモノを強制起動させながら飛び回ってしまいます。そんなブートモンを春たちは慌てて追いかけました。
ブートモンは最終的には、ふじみ坂夏祭りの会場へたどり着きます。その会場の近くには神社があるのですが、そこに祭られていたタブレットに封印されていたダメダモンを不意に復活させてしまいました。
ハルたちもブートモンを追って会場に辿り着きます。そこで、アイちゃんに逢いました。アイちゃんから、謎のトラブルが続いて夏祭りが滅茶苦茶になってしまっていることを聞きます。そう、ダメダモンの仕業です。
ダメダモンの姿を確認したハルたちは、この騒動の騒ぎの原因がダメダモンにあることを察しました。
ハルたちはブートモンを追ってここまで来ましたが、困っている人たちを放っておくことはできません。ブートモンのことはひとまず放っておいて、ダメダモンを倒しに向かいました。

 

という流れです。


「ブートモンを探すのも大切だ。でも、ここにいる皆も放っておくことができない、だろ?ハル」って勇仁の言葉で背中を押されてダメダモンの討伐に向かう流れになるんですけど、本当にそれでいいのか…?明らかにブートモンを探す方が優先だと思うんですけど。ブートモンはあらゆるモノを強制起動させながら移動しているので、思いっきり足跡を残してますしね。敵のリヴァイアサンからすれば「見つけてください」と言わんばかりの目立つログです。緊急事態だと思うんですけど。
まあこんな感じで、無理矢理な展開になっていましたが、最初に言った通り、これは一話完結の形に落とし込まなければならないっていう作り手の事情があってのことだと思います。

 

ここから先は、全部私の勝手な想像。

 

今回の話、ブートモンのキャラ紹介をすること、そしてハルたちとブートモンが知り合うこと、しかしブートモンはまだハルたちのところには来ないこと、この三つのノルマが課されていたと”思う”んですよね。逆に、これ以上進展するような展開にしてもいけないっていう縛りがあったと思うんですよ。
しかし、主人公が、今後の重要キャラのブートモンと知り合いになっただけで終わるっていう展開には、物語としてのオチが無いですよね。アプモンは一話完結のお話を重ねるタイプのアニメなので、オチが無い話は極力避けたいわけです。
そこで、オチを作るために製作者が突貫工事的に作った存在がダメダモンです。
形だけでもオチを作るためには、とにかく「問題を解決すること」と「キャラクターが決断をすること」の二つの要素を入れればいいわけですから、ダメダモンみたいなトラブルメーカーを兎に角つくっちゃえって言う発想になるんですね。
メインのストーリーライン(ブートモンと成り行きで知り合ったけど逃げられてしまった)の中で「問題を解決すること」と「キャラクターが決断をすること」の二つの要素の二つの要素が完全に抜け落ちてしまっていたので、メインとは関係の無いストーリーライン(ダメダモン)を別個用意して足りない要素を注入したわけです。
「ハルがブートモンの捜索をいったん止めてダメダモンの退治に向かった」っていう無理のある展開は、「キャラクターが決断をすること」の描写を挟む効果と、二つのストーリーラインを綱渡しする効果があったわけです。

 

まあ、私のこの話に対する認識はこんな感じなので、好きにも嫌いにもなれないです。ストーリー的には若干の無理があるものの、そこはまあ、作り手の諸々の事情も踏まえて仕方ないね、という認識です。
ぶっちゃけて言うと、話の構造的には嫌い寄りかもしれません。なぜなら、旧セーラームーンでよく使われていた手法なので、お腹一杯って感じです(笑)
まあでも、旧セーラームーン(というよりのあの年代のアニメ)は、全体を通して見ると整合性が取れてなくても一話一話のクオリティが高いっていうものが多いです。誤魔化す技術とはいえ、視聴者を楽しませるために一応完成された技術なのかも。
ついでに個人的な話をさせていただくと、最近観たアニメはこれを遥に下回るクオリティのため、「お腹一杯」よりも「ありがてぇ」って思う気持ちは実は大きいです

 

あ、嫌い寄りなのはあくまでも話の”構造”です。
新キャラのブートモンのキャラは面白いと思いました(しかしそれを活かすのは難しいなとも思った)し、それぞれのキャラクターが動いている感じがしたので、そこは好きですねー。

 

キャラクターピックアップ
ハル
今回はどちらかというと舞台装置
アイちゃんのことが好きなんでしたよね。アイちゃんが、予想以上にハルたちとどっぷり関係を持っているため、そんな感じがしなくなってるような…

アストラ&ミュージモン
存在感皆無。戦闘シーンで活躍したのはせめてもの情けかも。

 

エリ
アプリ山解散ですって。最後の最後に爆弾通告。
好きだったのは「気、落とすなよ」「誰が?」っていうやり取りかな。切り替えの早さが格好良い。エリなら何となくこう言う感じがしました。
「〇〇なら~~~って言うだろう」っていう予想ができるのは、ある程度キャラが確立した証拠かもしれないですね。

 

一(はじめ)
賢さマックス。そして意外にアクティブ。
今のところ、お兄さんの上位互換(笑)

 

レイ
弟に出番食われない?と心配なお兄ちゃん。
でも幸せそうで何より。

 

勇仁
まあ…相変わらず(^^;
なんかいつもよりも声優さんが元気のような気がする。気のせいかな?(笑)
気になったのがコチラ↓の台詞

ハル「また来年も来たいな、夏祭り。その次の年も、またその次も、ずっと、ずっと…」
勇仁「来れるよ、必ず。きっと来ようぜ、一緒に。ハル」

いや、その台詞はアイちゃんに言わせて差し上げろ。
露骨にフラグっぽいんだよなぁ~