アニメとかの感想書留

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第5話 純な心を守れ!敵味方三つ巴作戦

 

あらすじ

レイの家に勉強会に行くのを躊躇しているうさぎのもとに現れたのは、宇奈月を乗せた衛。うさぎは、衛が宇奈月に浮気したのではないかと、一瞬不安になります。

場面は変わって、うさぎは宇奈月と喫茶店で話します。ガールズトークは盛り上がり、宇奈月は自らのファーストキスへの情熱を語ります。そのこ現れたのはみちるとはるか。ふたりはキスに関する蘊蓄を披露した後に、うさぎたちのもとから立ち去ります。

一方、いつものように薄暗い実験室では、教授とカオリナイトが次の作戦を話し合います。次のターゲットは、ファーストキスを夢見る少女とのこと。

「ファーストキスか、もう何年もしてないな…ふふふふふ、ははははは、はーはっはっはっはっは!!」と教授。

「オホホホホ」とカオリナイト。なんだかよく分からないけど、もうはちゃめちゃに楽しそうなのであります。

ふたりの標的は、やはり宇奈月。うさぎたちを招待したお茶会の準備のために、部屋を掃除していたところ、ダイモーン、に襲われます。宇奈月のピュアな心を手にして喜ぶダイモーンでしたが、ウラヌス・ネプチューンに邪魔されて苦戦します。

ピュアな心を奪われて気を失ってしまった宇奈月は、倒れているところをうさぎたちに発見されるのでした。(前半パート)

 

レイが宇奈月の世話を、他の四人がピュアな心を探しに出かけます。衛も協力してくれて、セーラームーンはようやくピュアな心のありかに辿り着けました。しかしそこでは、ピュアな心を狙って、ウラヌス・ネプチューンとダイモーンが争っていました。そこにセーラームーン・衛も乱入して、事態は三つ巴模様。

セーラームーンの必殺技でダイモーンは撃退されますが、今度はウラヌスたちとピュアな心を巡って争います。激しい攻防の中、ピュアな心を手にしたのはネプチューン。彼女は宇奈月の心がタリスマンではないことを確認すると、セーラームーンたちに譲ります。

宇奈月は生気を取り戻し、一件落着なのでした。

 

 

感想

三つ巴作戦って、また古い言い回しを。

宇奈月のピュアな心を巡ってセーラームーンたち、ウラヌス・ネプチューン、ダイモーンが乱戦を繰り広げる話でした。これまでのダイモーンはウラヌス・ネプチューンの二人に一方的にやられていましたが、今回は強い固体だったのか、なかなか決着がつきません。宇奈月がピュアな心を奪われたのは昼間のはずだったのに、ダイモーンをようやく倒す頃にはすっかり辺りは夕暮れでした。

2~4話でウラヌスたちの「誰かを犠牲にしても世界を救いたい」という決心、そしてそれに戸惑いを感じている描写がありましたが、その信念のせいでセーラームーンと直接的な衝突するのは、今回が初めてとなります。今までも「セーラームーンたちに協力しない」という行動のせいで微妙な軋轢を生じさせていましたが、ピュアな心を巡って実際に攻撃を仕掛けてきたのは初めてのことでした。分かり合えないウラヌス・ネプチューンセーラームーンたちという構図を示す回となりました。

このように、セーラームーンSという作品の輪郭が明らかになってきたこの第5話。しかしそれと同時に、主人公、という存在について疑問を持つ話になっております。さてそれは、どういうことなのでしょうか?

それを説明するには、物語、という表現形態について説明しなければなりません。まずは、辞書的な意味合いを調べてみましょう。

 

 

①あるまとまった内容のことを話すこと。ものがたること。また,その内容。話。談話。 「世にも悲しい-」 「知る人の許にて夜に入るまで-し/舞姫 鷗外」

②文学形態の一。広義には,散文による創作文学のうち,自照文学を除くものの総称。すなわち,作者が人物・事件などについて他人に語る形で記述した散文の文学作品。特に,人物描写に主眼のある小説に対して,事件の叙述を主とするものをさすことが多い。狭義には,日本の古典文学で,「竹取物語」「伊勢物語」に始まり,「宇津保物語」「源氏物語」で頂点に達し,鎌倉時代の擬古物語に至るまでのものをさす。歴史物語・説話物語・軍記物語を含めることもある。

大辞林 第三版』より抜粋

 

 

①さまざまの事柄について話すこと。語り合うこと。また、その内容。「世にも恐ろしい―」

② 特定の事柄の一部始終や古くから語り伝えられた話をすること。また、その話。「湖にまつわる―」

③ 文学形態の一。作者の見聞や想像をもとに、人物・事件について語る形式で叙述した散文の文学作品。狭義には、平安時代の「竹取物語」「宇津保物語」などの作り物語、「伊勢物語」「大和物語」などの歌物語を経て、「源氏物語」へと展開し、鎌倉時代における擬古物語に至るまでのものをいう。広義には歴史物語・説話物語・軍記物語を含む。ものがたりぶみ。

④ 歌舞伎・人形浄瑠璃の演出の一。また、その局面。時代物で、立ち役が過去の思い出や述懐を身振りを交えて語るもの。

『goo辞典』より抜粋

 

 

著作権的なことは詳しくないんですけど、侵害してしまうようなことがあっても困るので、ネット上に公開しているものだけ載せます)

 

 

どの辞書にも大体「話すこと、語ること」とあるように、物語というのは、語り手という存在があって始まるものです。つまりそれは、レポートなどの客観性が重視される表現形態と違い、あくまでも誰かの“主観“で語られる必要があります。それ故、聞き手の私たちは、劇中の世界を、”語り手“というフィルターを通した世界として目にして耳にすることになるのです。

と、書いたまではいいのですが、抽象的な話だと伝わりにくいのが世の常というもの。以下の3つの文章は、同じシチュエーションを説明したものですが、その違いを比べてみてください。

 

『午後7時00分。〇県〇〇市〇〇-〇〇-〇の住宅のリビングで、一家の9歳児の長男がサラダの入った皿を割る。本人は悪気が無かったと主張。母親は、彼に悪意があること、彼にはコップを割った責任の所在があることを主張。話し合いの結果、長男が自らの過失を認め、同じ過ちを二度と犯さないことを母親に約束した。』

 

 

『陽子は息子のトマト嫌いに頭を悩ませていた。子供の育ちは母親にある、と使命感に燃えている陽子は、息子の好き嫌いを解消しようと、あの手、この手を費やしてきた。しかし、トマトというのは手強い食材で、人参やピーマンと違って、細かく刻んで料理に混ぜるなどの工夫ができない。トマトのゼリーやスープを作ってもみたが、個性の強いこの食材は、主役に躍り出ようとするのだ。当然ながら、トマトが嫌いな子供は手を付けようとすらしない。

万事休す、と諦めた陽子は、副菜のサラダに、輪切りにしただけのトマトを載せた。こうなったら、無理矢理食べさせるしかない、と決心したのだ

「え~、またトマト?」

「文句言わない!さっさと食べる!!」

 こんな会話をした後に、陽子は息子に、食器を運ぶように言った。すると、陽子が一瞬目を離した隙に、何かが割れる音がした。陽子はすぐさま、状況を理解した

「気に入らないからって割ることないでしょう!」

 息子が運んだ皿は一つではなかったが、サラダの入ったものだけピンポイントに割られていた。

「たまたまだよ」

 息子は普段から嘘を付く傾向にある。陽子はこの際、このまがった根性を文字通り叩きなおそうとして、右手でビンタをした。

「ごめんなさい。もう二度としません」

 涙目になっている息子の顔を見て、陽子は息子も分かってくれたのかと、安心したのであった。』

 

 

『一郎にとって、家庭の食卓というものは拷問そのものだった。嫌がらせなのか、母親は嫌いな一郎の嫌いなものばかり出すのである。ようやくピーマン攻撃が終わったと思ったら、今度はトマトである。トマトは、一郎にとって、指折りの苦手な野菜だった。毎日とにかくトマト、トマト、トマトで気が狂いそうだ。

昨日はトマトのスープが夕食に出された。せっかく作ってもらったのに手を付けないのは悪いと思って頑張ったが、一口が限界だった。

今日もトマトだった。文句を言いつつも、昨日のスープよりは量が少ない分だけ助かった、と内心ほっとした。

 安心したせいか、気が緩んだ一郎は、テーブルの脚に小指をぶつけた。あまりに鋭い痛みに、両手に持っていた皿を手放してしまった。カレー皿は奇跡的にテーブルの上にきれいに着地したが、サラダの方は粉々に砕けていた。

 気づくと、一郎の目の前には、母親が目を三角にして怒っていた。

「気に入らないからって割ることないでしょう!」

「たまたまだよ」

 母親の剣幕に怖気づいた一郎は、反射的にこう答えた。そこに自分の意思は介在していなかった。

 しかし、そんなこととは知らない母親は一朗の頬を平手打ちした。怒りだしたら何を言っても聞き届けてくれない母親の性格を知っている一郎は、

「ごめんなさい。もう二度としません」

 と、涙を抑えて謝った。母親も許してくれたようで、一郎も安心したのである。』

 

 

.①の文章が、②や③の文章と毛色が違うのは一目瞭然でしょう。①はどちらかというと、ニュースやレポートで重視される、客観的な文章であります。

では、②と③の違いは何でしょうか。二つ同じ物語であり、しかも物語の舞台まで一緒です。しかし②と③が歴然と違う物語になってしまうのは、語り手の“視点”が違うからに他なりません。教育熱心な母親の奮闘を描きたいなら②を、大人の都合で振り回される子供を描きたいなら③と、誰に視点を置くかによって、話のテーマはガラリと変わってしまいます。それが物語という特殊な表現形態の面白いところでもあります。

②と③で示したように、主人公、というのは語り手の視点そのものです。主人公を通して物語の世界が作られ、主人公によって先の世界が切り開かされ行くのです。語り手も聞き手も、主人公というレンズを通して、物語の世界を観ることになります。

さてここで、セーラームーンSという作品における主人公が誰かを改めて考えてみましょう。まずは、視聴者の視点から、現段階の状況を整理してみましょう。

 

  • ダイモーンという、ピュアな心の結晶を狙う悪者が現れる
  • ダイモーンがピュアな心の結晶を狙うのは、タリスマンを出現させるため
  • タリスマンは、強いエネルギーを秘めた『聖杯』なるものを出現させる力を持つ
  • ダイモーンは、世界を支配するために聖杯を狙っている
  • ウラヌス・ネプチューンは世界を救うために聖杯を狙っている
  • タリスマンの出現には死者を伴う
  • ダイモーンという敵の正体は不明

 

次に、ウラヌス・ネプチューンセーラームーンの視点を比べてみましょう

 

 

ウラヌス・ネプチューン

セーラームーン

ダイモーン

地球侵略の敵。詳細は不明。

地球侵略の敵。詳細は不明。

タリスマン・聖杯

世界を救うために必要

→犠牲者は仕方ない

存在自体知らない

→ウラヌスたち、ダイモーンの行動を理解できない

ピュアな心の結晶

タリスマン・聖杯出現の鍵。

なくなれば人が死ぬ、程度の認識

 

いかがでしょうか。こうしてみると、視聴者の視点は恐ろしいくらいにウラヌス・ネプチューンと近いと思いませんか?これが、私がウラヌス・ネプチューンセーラームーンの主人公だと言った理由であります。

確かにセーラームーンは必殺技が強烈だし、全ての戦士のリーダー的な存在だし、要な人物であることには間違いありません。しかし、“主役”敵なカリスマ性を備えていることと、主人公であることとは、根本的に違うのです。厳密に判断すると、このセーラームーンSという物語の主人公は、ウラヌス・ネプチューンなのです。

主人公的な存在はウラヌス・ネプチューンであるのに、名目上の主人公はセーラームーン。この矛盾は、このセーラームーンSという作品に薄気味悪い不協和音を生じさせる原因となってしまいます。

前回、あらすじを書くのに混乱したと書きましたが、やはり原因はここに眠っているのでしょう。

この主人公問題、結構な字数を使って説明しましたが、それだけ重要な問題でもあります。セーラームーンSにおいての物語的な作品の欠陥点は、ほぼ全てここに繋がっている、とも言えるでしょう。

しかしそれを解明するには5話ではまだ早すぎます。今後の展開に注目して、今日はこのくらいで。

 

おまけ

作画

今回作画の担当をなされた伊藤郁子さんは、このセーラームーンSの作画チーフを担当されています。抜群に上手いです。セーラームーンシリーズでは無印からSuperSまで四期も担当されます。レイちゃんは、伊藤さんの作画が一番好きかな。ムーンの泣き顔も非常にリアルです。

 

三つ巴

なんか三つ巴に突っ込みたくなるんだな。三つ巴乱戦かもしれないけど三つ巴作戦ではないような…

 

はるか・みちる

なんでお前らそんなにキスについて詳しいんだよ。

 

アルテミス

「ピュアな心を抜かれているんだ!」って、何故分かったし

 

亜美

そのポケコンダウンジング昨日まであったのか。

 

脚本

富田脚本では、みちるとはるかのキャラクターを掘り下げて描かれます。戦士としての宿命を背負った二人、という側面から二人を描写するのが上手いです。それだけに、若干性格はキツめなような気もしますが。