アニメとかの感想書留

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第22話 聖杯の神秘な力! ムーン二段変身

脚本

富田祐弘

作画

伊藤郁子

演出

芝田浩樹

美術

橋本和

 

 

あらすじ

タリスマンを取り出したことで瀕死状態のウラヌスは、セーラームーンにメシアたちの存在を明かし、タリスマンを託し、意識を完全に失います。しかしうさぎたちは、ウラヌスたちを助けることを諦めようとはせず、タリスマンを彼女たちの中に戻す方法を考えていました。

そこにやって来たのはユージアル。彼女はうさぎたちの隙をついてタリスマンを奪うと、とんずらしてしまいました。うさぎもセーラームーンに変身して取り戻そうとするのですが、ユージアルの発明した火炎放射器、ファイアーバスター2に圧倒され、セーラー戦士たち一行は炎に取り囲まれてしまいます。

マーキュリーはじめ、セーラー戦士たちの技はファイアーバスターの炎には効果がなく、もたもたしている間にもユージアルは逃げ、彼女たちを取り囲む炎は大きくなってゆきます。絶体絶命かとおもわれたそのとき、タキシード仮面とセーラーちびムーンにより、一行は助けられます。

セーラー戦士たちはユージアルを追うものの、またもや彼女の怪しげな発明品により足止めを喰らうことになります。セーラームーンだけが逃れて彼女を追いかけます。

ユージアルとムーンが直接対決します。ムーンの技ではファイアーバスターには歯が立ちませんでした。万策尽きたかと思われたとき、うさぎをここまで連れて来てくれた謎の女性、冥王せつなが現れ、セーラープルートに変身しました。

そして、せつなは残る一つのタリスマンが、彼女のガーネットロッドの先端の赤い宝玉、ガーネットオーブであることを明かします。ユージアルは彼女からタリスマンを取り上げようとするものの、オーブが不思議な光を放つと、逆にウラヌスとネプチューンのタリスマンを奪い返されてしまいます。

ウラヌス・ネプチューンはタリスマンの不思議な輝きに導かれて、その場に召喚されました。すると、タリスマンに宿っていた彼女たちのピュアな心の結晶が、彼女たち自身にもどりました。こうして、ウラヌスとネプチューンは蘇りました。

さらに輝きを増す三つのタリスマン。そしてその中心に、無限の力を持つ聖杯が現れました。

当然ユージアルは聖杯を横取りしようとします。またもやファイアーバスターが渦巻き、現場は炎の海。聖杯はユージアルの手に落ちたも同然かと思われたその時、セーラームーンが彼女の前に立ちはだかります。

激しい戦いの末、聖杯を勝ち取ったのはムーンでした。ムーンが聖杯を手にした瞬間、ムーンは新しい姿に二段変身しました。スーパーセーラームーンの誕生です。

スーパーセーラームーンには、ファイアーバスターも無力でした。スーパーセーラームーンの力により、ユージアルはいともたやすく撃退されます。

ユージアルを撃退できたものの、聖杯の力はせーらムーンにとっては負担が大きすぎたようです。スーパーセーラームーンの姿を保っていられたのも一時的なものでした。敵の野望を打ち砕くためにも、聖杯を真に使いこなせる者を探す必要がありそうです。ウラヌスたちには、また新たな使命が課せられたのでした。

 

 

感想

以下、気になった点

 

  • マーキュリーたち4戦士とちびムーン、タキシード仮面はどうやってセーラームーンたちのところへたどり着くことができたのか(前回の話だと、うさぎはせつなの協力なくしていくことはできなかった)
  • ルナP消火>シャインアクアイリュージョン
  • ウラヌスたちから命をかけてタリスマンを託されたのに、次の一コマでユージアルに奪われるって、セーラームーンたちいくら何でも間抜けすぎないか
  • なぜせつなさんはあのタイミングでタリスマンを出現させたのか。強烈な武器を持ったユージアルの前で聖杯を出現させるなんて、「どうぞ持ってってください」と言っているようなもの
  • ネプチューン「犠牲者を出す必要なんてなかったのね」(完)

 

前回につづいて、ちょっと辻褄があっていないというか、整合性が取れていないシナリオ展開が目立ちました。

しかし、この話、面白いんです。なぜなら、最後の聖杯を巡る山場で盛り上がりを見せてくれたからなんですよ。これまで「皆を救う」「犠牲者何て出さない」と言っておきながら、軽率な行動で敵に有利になる選択ばかりしてきたビックマウスなセーラームーンですけど、最後の最後で聖杯を守り抜いてくれました。土壇場の根性は大したものです。セーラームーンのひたむきな心も伝わってきました。

一つ本当に残念なところは、これまでの話でウラヌスとネプチューンが悩みに悩んでいた犠牲者に関する問題が、あっさりと片付けられてしまっていたことです。この先の展開で「ほたるを犠牲にしなければならないのか」という問題に形を変えて再登場するので、あえてここでは結論を出さなかったのかもしれないですけど、それでももうちょっと何か欲しかったな、と思ってしまいます。「より大きな善のために利用される」という形での犠牲と、「より大きな善のために迫害される(というよりも切り捨てられる)」という形での犠牲って、似ているようでやはり異質なものなんです。犠牲っていう言葉の意味に追求するためにも、前者の問題には決着をつけた上で次のステップに進んでほしかったですね。