アニメとかの感想書留

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第26話 沈黙の影!? あわき蛍火のゆらめき

脚本;榎戸洋司

演出;五十嵐卓哉

作画監督;爲我井克美

美術田尻健一 

 

あらすじ

書きにくいので割愛。いつか時間があるときに書き足すかも

 

感想

ほたるの過去と家の事情がメインの回。身体が弱くて外に出ることもままならない上、変な生物に憑りつかれているから友達になった人を傷つけてしまう、その上お父さんの様子はどこかおかしくて、家族同然といえるくらい土萌一家に踏み込んだ付き合いをしているカオリナイトはほたるに冷たい。家庭にも外にも居場所が無い上に自分が何者かさえ分からない。ほたるの感じていた孤独は強烈だったに違いありません。ほたるの生い立ちを回想形式で観た後に病院でちびうさたちがお見舞いしているシーンになるのですが、本気でほたるのことを心配しているちびうさって暖かいなって思いました。きっと、ほたるにとってちびうさはただの遊び友達ではなくて、一緒に居て安心するような友達なんでしょうね。

ほたるのことを気遣って「うちに遊びにおいで」「ママのケーキ美味しいんだから」と言えるうさぎも信頼できるお姉さんです。しかしこのシーン観て思ったのが、このアニメ、うさぎって言うキャラクターを「普段はドジで間抜けなところがあるけれど、本質的には優しくて思いやりがある信頼できるお姉さんで、ドジなところさえ周りを安心させる長所に変えてしまう魅力を持っている」キャラクターにしたかったのかなって思うんですよ。この話ではそういう風な描かれ方はされていますし、ほたる中心に物語を観ると実際うさぎってそういう人物なんです。しかしはるか目線で観ると濃縮圧縮クズ度100%の純粋なおバカになるっていうね。「バカって罪なんだな」っていうのがこのアニメを最初に観たときの私の感じたテーマでしたね。

うさぎのキャラクターの描かれ方の問題点って一つなんですよ。最後にまとめて書こうと思っていることなんですけど、書き忘れると悪いのでここで簡単に書いておきます。

うさぎって、「ほたるを守りたい」っていう思いで行動している点においては一貫しているんですよね。最終決戦で聖杯なしでスーパーセーラームーンになったきっかけだって、その思いが背景にあってのことですから。しかし、彼女は全人類を守りたいって思っているわけでもないんです。要するに、「ほたるさえ無事でいてくれれば他の人類がどうなっても構わないぜ」ってうさぎは思っているんですよ。最終決戦で敵に聖杯が渡って世界がご臨終モードに突入している中で「これがお前の望んだ結末か?答えろおおおぉぉぉ!」と叫ぶウラヌスの問いには横目で流したくらいにして何も答えず、すっかり諦めモードに自らも突入しているにも関わらず、ほたるが自己犠牲により世界を救おうとした途端に戦意を取り戻すワンシーンがそれを物語っています…

いや、私だって、製作者スタッフがうさぎをそんなサイコに仕立て上げようとしたと本気で思っているわけではないですよ。しかし、先述したような「普段はドジで間抜けなところがあるけれど、本質的には優しくて思いやりがある信頼できるお姉さんで、ドジなところさえ周りを安心させる長所に変えてしまう魅力を持っている」キャラクターを描くには足りない画材が多すぎたっていうだけの話です。うさぎをそんな聖人君子のキャラクターに描きたかったなら、あの最終決戦のワンシーンの改正して、ただ何となく日常回で敵を迎え撃つだけではなくてうさぎが皆を守るために積極的な行動に出る描写をすることが最低限でも必要でした。まあ、最初の方のウラヌスとネプチューンの描かれ方を観ていて分かるようにその場のノリで作っているところもあるのでここまで緻密な計算の居る作業を製作スタッフさんたちに求めるのも無理な話なんですけどね。

 

天王はるか

説明してよ。

ちびうさをほたるに近づけないように忠告するはるかでしたが、その理由は訊かれても答えません。「怪しい力を感じた」とか「敵の可能性がある」とか一言言えばいいのに。作中でも彼女たち外部太陽系戦士がセーラームーンたちとは違って孤高の存在だっていうことは散々言われていることなんですけど、厳密に考えると、それは今回うさぎたちに説明しなかった理由にはなっていません。「うさぎたち温室育ちの幸せ戦士たちを過酷な戦いに巻き込みたくない」っていう思いやりからなのか、「うさぎたちなんか信用できねーよドアホ!」っていうプライドの高さから来た行動なのかそれとも他に理由があるのか。彼女たちがどういう考えをもって動いているのか私には分からない。おそらく製作者も分かってない。

東京タワーでカオリナイト撃退する話とか、突拍子も無く登場したデス・バスターズのモンサンミッシェルでの聖杯出現事件の回の感想で、ウラヌスとネプチューンの行動原理がいかに滅裂なのかっていうことについては書いたのでここではもう突っ込みませんよ。

まあ、今回ウラヌスが説明しなかったのは、今後の話でほたるとうさぎの普通の友情物語を描きたかったっていうシナリオ進行上の理由でしょうね。でも、今後の話でほたるが丁寧に描写されていることを踏まえて、仕方ないのかな、と見過ごしてしまえるかも。