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アニメとかの感想書留

ブログ名の通りです。映画に焦点を絞りたいな、と思っております。カテゴリーの一覧はこちら→http://animekanso.hatenablog.com/entry/2016/04/07/124605

単発感想 魔法つかいプリキュア第29話

 いやあ、酷い酷いとは思っていたし、予告だけでもお腹いっぱいな内容だったのに、本編での内容は予想のはるか斜め上を行っていました。まさかここまでとは。

 しっかしまあ…投げやりすぎるというか…ついに「投げた」か、というのが今週の魔法つかいプリキュアを観た私の感想の全てになります。

 さて、それでは具体的にどこが問題だったのか、いつものように(?)箇条書きのスタイルで一つずつ指摘していこうと思います。

 

シンデレラ

 魔法つかいの世界の童話はナシマホウ界の童話と若干異なっている、というのが今回の話のコンセプトです。魔法使いの世界では、『シンデレラ』の主役シンデレラではなくシンデレラに魔法をかける魔法使いで、『花咲か爺さん』のお爺さんはじつは魔法つかいだったとのこと。

 どこから突っ込んでいいのかな?

 まずさ、花咲か爺さんに関して、りこは「魔法でもなければ、枯れた花を咲かせることなんてできない」とか言っているんだけど、今までの話で魔法が奇跡を起こしたことって無かったよね。基本的にこの世界の魔法って、物を持ち上げるとか、水を固めるとか、特殊な物理現象的な扱いをされているはずなのに、「不思議なこと=魔法」っていう認識に至るりこの思考回路が理解できないんですけど。というか一話前に、「ドンドン花が枯れちゃった」って大騒ぎして替わりの花を遠くの洞窟まで取りに行く展開があったけど、これって魔法使い連中に「魔法で復活させることはできない」っていう共通認識があっての話じゃなかったの?

 第一さ、

 百歩譲って、「魔法で枯れた花を復活させることができる」「魔法は不思議で、奇跡も起こす」世界観だったと仮定してもさ…そんな『花咲か爺さん』のどこが面白いわけ?ナシマホウカイの『花咲か爺さん』は花咲か爺さんの起こす奇跡が物語の醍醐味になっているわけだけど、「魔法が花を咲かせることができる」ことが当たり前の魔法使いの世界の住人たちが、お爺さんが当たり前にできることを当たり前にする物語を読んで何が面白いの?

 もうね、こういう思い付きで、アイディアを掘り下げるつもりが微塵も無い一発ネタは今に始まったことじゃないんだけど、それにしても、これを面白いと思っているなら作り手はドアホだと思います。

 あ、大事なことを言うことを忘れていました。

 この話、「主役が魔法使いの『シンデレラ』の世界に、みらい、りこ、ことはの三人が迷い込む」って話なのに、迷い込んだ『シンデレラの世界』、全編通して観てもどこが「魔法使い主役」になっているのか理解できなかったんですけど。

 

スマホ

 そもそもみらい、りこ、ことはの三人が迷い込んだシンデレラの世界って夢の中の世界で、スマホンが三人に魔法をかけた結果なんですよね。

 どうしてスマホンがこんな魔法を三人にかけたのか、作中では一切説明はありませんでした。前回の話では、ドンドン花が枯れたことに関して「いつもならこんなことにはならない」って、敵の動きを予感させるような意味ありげな台詞が教頭先生たちから語られていたんですけど、最後の最後までドンドン花が枯れた理由は説明されませんでした。

 ええかげんにせえよ。

 

レインボーキャリッジ

 こんなに盛り上がらない新商品の登場も珍しい。売る気無いだろ。

 絵本の中の『シンデレラ』でモフルンそっくりのシンデレラが、りこたちの力になりたいという一念で誕生させた新商品がレインボーキャリッジなんですけど、絵本の中のモフルンはモノホンのモフルンとは完全な別人で…となると、一体何がこの馬車を創り出したんだ?という疑問が生じてしまいます。

 まあプリキュアなら、「絵本の中の人たちにも心はあるんだよ!!」とかいきなり説教し始めそうですけど。

 っていうか新商品のコンセプトについてもさあ、プリキュアってそもそも「伝説の魔法つかい」って呼ばれていて魔法をかけたり奇跡を起こしたりする立場の存在なのさあ、魔法の馬車を使うって魔法の恩恵を被る立ち回りのキャラに許される特権なんじゃないの???まあ、あの馬車がモフルンやみらいたちが自力で生み出した奇跡だったら話が別なんだけどね。

 基本的に主役のモフルン、みらい、りこ、ことはの四人ってさあ、状況的にスマホンに良いように使われているだけなんだよね。道具に使われるとか、普通に恐ろしいわ。