アニメとかの感想書留

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たまには更新5

今日は何となく気持ちが波に乗っているので、お話について思っていることを少しばかり書こうと思います。

 

個人的な話なんですけど、物語に関して「面白い」と「楽しい」と「感動」は結構明確に違うんですよね。

 

まずは「面白い」について。私が物語に関して「面白い」って感じる瞬間って、自分が知らないような登場人物の内面に出逢えた時なんですよね。自分には「これは譲れない」っていう大好きな小説がいくつかあるんですけど、そのいずれも、目から鱗の価値観を持っている人が一人は登場するんですよ。想像できない考えや価値観を持った人というと、どこか日常から逸脱した奇行に走る人や本音を喋らない人を連想しがちなのですが、私が小説を通じて学んだ登場人物は皆それぞれ、ささやかな人生(←正確には人とは限らないけど)を送っているんですよね。本当に好きになったキャラクター(←小説の登場人物をキャラクターというとイメージにそぐわないけど)に関しては、一人として同じタイプの人はいなくて、それぞれ唯一無二の存在なんですけど、物語の中で展開される現実に対して本当に誠実なんですよね。

これは私が勝手に思い込んでいることなのですが、男性作家の描く女主人公の内面って、どこか他人事なんですよ。年齢が高い作家さんの小説を読む機会が比較的多い方なので、そう感じるかもしれないですけど…「女は即物的だ」なんて感じが前面に出ているような物語なんてまず敬遠する対象ですね。いや、男尊女卑が悪いとかそういう話をしているわけじゃないんですよ。物語が他人事になってしまうのが問題なんです。物語って言うよりも、世間話の延長だなって感じてしまうんですね。そのような物語が悪いとは決して思いませんが、心から好きになることは無いだろうな、と諦めている節があります。

ここで注意しておきたいのは、「面白く」はないけど「楽しい」物語ってあるんですよ。敬遠する対象となる「面白く」ない物語を世間話と例えましたが、世間話って、人間の上っ面を撫でたようなしょうもないものでも、日々の生活で溜まった小さなストレスを発散してくれる一面があるでしょう。楽しいだけの物語は面白いだけの物語の下位互換だと思ってはいるんですけど、物は使いようと言いますか、状況によっていくらでも逆転するんですね。

しかしやはりバランスというのは大切で、いくら面白い物語でも「他人に伝えるもの」である以上、ある程度は「楽しく」なるような工夫は欲しいところ。世間話を引き合いに出してしまったので語弊を招いてしまうかもしれませんが、私なりの物語の「楽しい」の定義は、中身が無いということではなく、読者が物語の世界に入り込めるような構成なり演出なりを工夫している、ということです。厳しい言い方をしますけど、他人に伝わらなかったら、伝わらない人にとってはインクの染みでしかありませんから。