アニメとかの感想書留

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『サトシとラストバトル!セレナの選択』 感想

 今日はアニポケの感想。と言っても今日放送分の内容についてじゃなくて、主に先週の内容について。結論としては先週の内容はスゴくよかったってことに落ち着くんですけど、その前にポケモンXY編について思い入れを語ろうかな。いいきっかけなのでね。

 

 私はアニポケのXY編は途中から観始めたんですね。というのは、長年アニポケを追い続けている方はご察しがつくと思うのですが、BWの時代を経てアニポケに対しての期待が限りなくゼロに近付いたからです。主人公なのに完全空気キャラのサトシ、「子供ね~」と取り敢えず言わせられるだけのアイリスに、「テイスト」「テイスト」ってマスコットキャラの語尾のようにしつこく繰り返す以外に特徴らしい特徴が描かれないデント、シリアス路線とギャグ路線の狭間を渡り歩く情緒不安定のロケット弾など…BWがヒドいとはよく言われていること(?)だとは思うんですけど、具体的にその事例を語り始めたら枚挙に暇がありません。

 私はアニメ、というかドラマ全般を鑑賞するときは、キャラクターに対してどれほど真摯に向き合っているのかっていうところに重点を置いてみるんですね。人それぞれに物語の楽しみ方があるので、「キャラクターの心情なんてどうでもいいんだ、設定の壮大さが物語の醍醐味なんだ」って考える人が居ても私は全然OKです。お話として連続性の無いその場しのぎの一発ネタで人気を稼ごう、ってノリのアニメがあってもいいと思います。でもね、物事には最低ラインってものがあるんだよ!!

 私はできれば、キャラクターの心理描写とかにはこだわってほしいと思っているんですけど…まあそこに重点を置かないにしても、最低限キャラクターの特色や役割が示されていないと、本当に観ていて辛いです。出来の悪いアニメを観ていて感じる「辛い」という感情にも憤りとか興ざめとか色々な種類がありますけど、BW編については「退屈で視聴するのが苦痛」という意味で辛かったです。一度観始めたアニメなので最後まで完走はしよう、最後まで観ないと得られない結論があるかもしれない、そう思い修行のように追っていた時期もありましたが、心が折れてしまいました。

 そんな経緯を経てXY編の放送が開始しました。ネットでチラホラ「ストーリーが凝っている」と噂を聞いていたのですが、比較論法でまともに見えるだけでどうせ見るだけ時間を浪費するんだろうな、と観る前から半ば諦めていたんですね。そんなときにちょっとした機械があってディアンシーの映画を鑑賞したんですけど、これもまた酷い内容。ただひたすらに物語として退屈で、映画館で、おそらくポケモンを受け取るために映画券を買ったのであろう小学生が「あー、やっと終わった!!」ってため息交じりに行っていたのが本編よりも印象的でした。

 ディアンシーの映画は、私の心の片隅に残っていたポケモン熱を完全に冷ます結果となりました。

 しかし、放送時間が個人的なライフサイクルに噛合っていたこともあって、結局はアニメ本編の方はこの映画を機に視聴してみることにしたんですね。勿論、何も期待はしていなかったけど。しかし、DPも映画は酷いけどアニメ本編は好きだったし、決めつけることはよくないなって思ったんですよね。帰宅してきたばかりの時間帯でニュース番組を見るのもかったるいし、適度なリラックス材料として観てみるのも悪くないかなって思いました。悪い言い方をすると「頭を使わない(ように割り切って鑑賞しようと思う)アニメ」なんですけど。

 結論から言うと、あくまでもBWと比べてのことだけど、良くなったと思いました。BWと違って、一話完結のお話の起承転結の定型文は完成されていたので、ストレスが溜まることはありませんでした。映画もズルズルと惰性で他二編も鑑賞してしまいましたけど、ディアンシーの映画は特別に酷かっただけで、それぞれ気合いを入れているところがあって楽しめたかな。フーパの映画は伝説のポケモン祭りをしようって意気込みを感じられたし、マギアナも頑張って感動物語を作ろうって気持ちは伝わって来た。この二つの映画は、全く別方面から攻めたのも好印象だったかな。毎年馬鹿の一つ覚えみたいに同じことやられてもなぁとは常々思っていたので。あ、毎年同じような雰囲気のお話を作るのが悪いって言っているわけじゃないですよ。ポケモン映画らしい持ち味っていうのが確立されているならば、そこは譲らずに毎年引き継ぐのも一手だと思います。けど、アニポケってどの時代も方向性が見えてない手探りの状態で作っているみたいなところがあるので、どうせなら思い切って挑戦してほしいなと。

 一方、アニメ本編の方は…ダメダメっすね。まあ、何が一番ダメだったかというと…やはり個人的にはサトシがリーグで敗退したことでしょうか。え?サトシをリーグ優勝させたら続編を作れないから仕方ないって…?

 

 ホントに?

 

 まあ毎シーズン疑問には感じていたんですけど、そもそもポケモンリーグって優勝してどんな良いことがあるんでしょうかね?サトシはポケモンマスターになるって夢がありますけど、リーグ優勝者=ポケモンマスターなのかって部分はかなりぼかされていますし。ポケモンコンテストやポケモンパフォーマンスのように、その大会に優勝することがある業界に入るための登竜門になっている、というならリーグ優勝することにも意味が見いだせるんですけど、歴代のリーグ優勝者はトロフィーを受け取った以降の活躍が描かれていないため、そこら辺の事情もかなりあやふやになっています。

 ここで、そんな疑問に終止符を打ってくれたのがアラン選手でした。アランはサトシに打ち勝って優勝し、彼の目指していた「最強になる」夢を果たしました。そんな彼に待っていた未来は…旅に出る前に手伝っていたポケモン研究所に戻ること。つまり、ポケモンリーグに優勝しても、彼の日常には何の変化も訪れなかったことになります。

 だったらサトシを優勝させてやれよ。

 っていうかサトシゲッコウガってなんだったんだよ。何のために登場させたんだよ。「二人が力を合わせることでどんな困難も乗り越えられる」みたいなこと言っておきながら負けさせてんじゃねーよ。っていうかアランがサトシのライバルみたいにいつの間にかなってたけど、アランってそもそも旅先でばったり出会う強いトレーナー以上でも以下でもなかったじゃねーか。短パンこぞうみたいな扱いをしておきながらライバルとか、わけわかんねーよ。っていうかサトシがアランに負け続けたのって、最終的にサトシに勝たせるための布石じゃなかったのかよ。ホント、今までの旅はなんだったんだよ…。

 サトシゲッコウガはこのアニメの闇です。

 散々「カロスの平和を守る」みたいな伏線が張られてれていたのに、そのカロスの危機も、サトシゲッコウガじゃないと救えない危機っていうわけじゃなかったし。ついでに言うと、「ロケット団がカロスを危機から守る重要な役割を果たす」っていうことも語られていたけど、TV中継でクライシスを中継することのどこがカロスの平和を守ることだって?まあ一応フレア団との戦闘はしていたけどさ…。またまたついでに言うと、シトロンとロボットの友情物語とか要らねーんだよ。降板させるために人格の宿ったロボットコロしてんじゃねーよ。っていうかポケモンなんだから、ポケモンとの友情物語を描けよ!!

 まあそんなこんなで、酷いです。ホント、酷いです。一番お話として売りにしていた部分が一番ヒドいです。

 しかし…キャラクターバランスは良いなって思ってしまったんですよね、カロス組って。ヒロインのセレナがバトルに関して全くダメダメ(←これもまたついでに言うとさ、カロスの危機編でフレア団の攻撃をテイルナーがかえんほうしゃで迎撃するんだけど、それをみていたマロンっていう女の子に「セレナ、スゴい!」って台詞言わすんですよ。夢を追いかける、バトルに関しては素人の女の子って描写を徹底しておきながら、ここでこういうアピールをする意味が分からない)。これも、バトルバカのサトシの良い引き立て役になっていたかな、とは思いました。シトロンもなんでもありなトロニックマシーンなるものをよく開発するんですけど、狂言回しというか、お話の中にいい変化球を与えてくれいたとは思います。

 まあ、「サトシの引き立て役」って書いた通り、見る人によってはセレナって役立たずなんですよね。前半で夢を見つけることが彼女のテーマになっていたので、戦力にもならない上に目的も無い、80%くらい空気キャラでした。ディアンシーの映画では、なんか突然サイホーン牧場が登場させる(←セレナはサイホーンレーサーとしての素質が抜群という設定があります。)ことくらいでしか役割を与えられないレベルの空気キャラです。しかし、要所要所の場面では丁寧な描写のあるキャラクターなんですよね。「ママの言う通りの進路を歩むのが嫌だ」っていう自分の気持ちに気付いた上で本当にやりたいことを見つける展開や、ちゃんと自分の気持ちをママに伝えて説得する展開も描かれていました。ただ他人に影響されて、きらびやかな世界に憧れて始めたポケモンパフォーマンスの世界だったけど、自分で「たくさんの人を楽しませたい」っていう新しい目標を見つける展開も、彼女の成長をよく表していたかなと思いました。

 ここで、ようやく本日の本題に入るのですが。

 先週の内容は、今までのセレナの集大成だったかなと思います。めちゃくちゃになった街の人たちに、「笑顔にさせたい」と言ってボランティアのポケモンパフォーマンスを企画するセレナは彼女の新しい目標を見せてくれましたし、(途中描写は無いけど)彼女が成長した証だと思います。娘のパフォーマンスをする姿を見てアクトレスとしての娘の成長を自慢に思うママだったけど、プラターヌ博士からセレナが企画したお祭りだということを教えて貰って、思っていた以上に成長していた娘の姿にビックリするところも、なんかいいなと思いました。しかしまだ頼りないところもあって、今後の進路という重大なことついてはママに頼って相談してしまうのも、良い信頼関係に築かれた親子関係だなと素直に思いました。「悩んでいるときはポケモンバトル」って言ってセレナを励ますサトシも、セレナの憧れの人として美味しい立ち位置だったと思います。セレナが、ポケモンパフォーマンスのお偉いさんのヤシオさんからの「一緒に来ない?」という誘いを断るシーンも、彼女の決意を表している良いシーンだなと思いました。「ホウエンに行ってポケモンコンテストを体験してみない」と提案し「今度私にパフォーマンスを見せて。私、あなたのファンなのよ」って励ますヤシオさんはいい先輩としてキャラが立っていたと思います。

 なんか、派手な演出も意表を突くような展開も全然ないんですけど、これまでのお話の流れを汲み取って一つ一つ丁寧に決着をつけてくれたので、私は本当に満足です。久しぶりに、アニメを観て心が温まるなと思いました。

 この記事内でも散々批判をしたポケモンXY編。まだまだ言い足りない批判もたくさんありますよ。しかし、一人でも好きになれるキャラクターができて、また、強烈に好きな話が一つ二つあったので、視聴し続けて良かったなと思いました。