アニメとかの感想書留

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物語とコード進行

ストーリージーニアスを1/4くらい読んだので感想を書いてみます。


感想文を書いてあんなアニメやこんな物語に文句をつけておきながら「じゃあお話を作るにはどうすればいいの?」っていう肝心な命題にはこれまであまり言及しないできました。それは、批判されるのが怖いというのもありますが、それに加えて、「物語を書く」ということについて根本的に自分が分かっていないという理由も最も大きいです。
そこで、今日は、「物語を書く」ということについて、考えはまとまっていないところもありますが勇気を出して考察を書いてみようと思います。

実は、いつかは自分で考えをまとめておきたいな~とは考えていました。
それであんな本やこんな本を読んで自分で調べてみたこともありました。いつも分かった気になるものの、やっぱりあと一歩のところでやっぱり「分からない」という結論に至りました。「物語を読み取る」ことと「物語を作る」ことは全く別の問題だと毎度実感するのね。つまり、このブログの中で「あのアニメ面白いこのアニメ酷い」と考察した内容は、物語を作る場合においてはほとんど全く役に立たないんですよね。

特にそれを強く感じたのは、リサ・クロン著の『脳が読みたくなるストーリーの書き方』を読んだ時のことでした。
読む人が夢中になってこその物語だっていう物語観には共感しましたし、物語を書く上でのテクニック、例えば物語に目的性を持たせる重要性などについては素直に「なるほどなぁ…」と思いました。
しかし、実際に物語を作るには「何か」が足りないと思いました。それらのテクニックを使っても私には物語を作ることができないなって思ってしまったのです。日常生活の起きた面白い出来事を物語に加工してみようと思ってみたものの、忠実にテクニックを再現しているはずなのに、物語っぽくならないのです。何かが足りないのです。何が足りないかは検討もつかないけれど、兎に角、何かが足りないと感じました。そして、その何かがつかめないと、物語を理解できても「物語を書く」ということは理解できないんだなと思い知らされました。

私は今、同じ著者の書いた『ストーリー・ジーニアス』を読んでいます。『脳が読みたくなる(ry』と同じ作者の本で、より物語を書きたい人のための指導書のような内容になっています。斜め読みではありますが全体に軽く目を通しました。今現在熟読している最中で、まだそれは1/4程度の進行度です。
まだ全体を熟読したわけではないから今から結論を出すのも良くないことだとは思いますが、やはり、この本を読んでも「物語を書く」ことは理解できないような気がしました。。
この本がダメだと言っているのではありません。むしろ逆です。さっき例に出した物語の具体性の話のように、「なるほどな」と思うような私にとっては斬新に感じられる完成されたテクニックが本書の中にはたくさん書かれています。
しかし、ダメなのです。
やはり、『脳読み(略称)』を読んだときに私が感じた、「物語を書く」ということについて私の知らない「何か」が分からないと、この本に書かれている内容は理解できないように思いました。
逆に、その「何か」さえ分かればこの本は物書き(を私が目指しているわけではありませんが)を目指している人にとってはとても力強い武器になるようにも感じられた。

ここで、ちょっと意外な機会から、私はその「何か」を見つけたような気がしました。

それは、コード進行です。

コードとは音楽の用語です。
簡単に説明すると、音の組み合わせ、ハーモニーのことらしいです。(私は音楽に関してはど素人なので間違えているかもしれない汗)
根幹のメロディラインにコードを組み合わせることで、曲に緊張感や不安、安心などを演出することができるようになります。そして、そのコードの変化を表した言葉が「コード進行」なのです。

私がこの言葉を知ったきっかけは、(大天才)松田聖子が歌っている(大天才)松任谷由実の曲について解説を読んだことでした。
あえて遊離したコードを組み合わせることで夏の気だるさを表現した『小麦色のマーメイド』や、単調に繰り返すだけのメロディラインなのにコードの力でウキウキしてしまう『Rock'n rouge』…

コード進行によっては曲調はガラリと変わります。時に、根幹であるはずのメロディラインを差し置いて主体になってしまうくらい、コード進行は強烈なのです。

メロディに意味を持たせているのはコード進行と言ってもいいかもしれません(私は音楽のど素人なので(ry)

つまり、私が言いたいことは…
物語におけるプロットがメロディラインで、登場人物の感情の変化がコード進行みたいなものなんじゃないかなって。
同じプロットで物語が進行しようと、登場人物の心情によって物語の意味合いは変わってきます。そういうことなのかなって。

いやしかし、今回言いたいことは、「物語に意味を持たせるのは登場人物の感情だよ」っていうことではないんです。これは今までブログの中でもさんざん言ってきたことです。読者として。

今回言いたいことは…物語を書く時に一番最初に意識すべきことって、「全編を通した感情の流れ」なんじゃないかなっていうことです。
それも、あんまり理屈的じゃなく、感覚的に大雑把に。
ハラハラ→ハラハラ→ハラハラ→ドキッ!→安心
不安ソワソワ→安心→ドキッ!→ドキドキ→安心→ドキッ!
みたいに大雑把に。

こういう大雑把な「流れ」というものがあった上で、物語の意味(感情。コード。)を作ったり、「これから始まるのは報告書の内容ではなくて物語です!!」って最初の流れを作ったり、流れの変化のさせるときの具体的なテクニックを示したのが『ストーリー・ジーニアス』(というか大体の物語作成の指導書の内容)なのではないかな、というのが今現在の私の考えです。