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アニメとかの感想書留

ブログ名の通りです。映画に焦点を絞りたいな、と思っております。カテゴリーの一覧はこちら→http://animekanso.hatenablog.com/entry/2016/04/07/124605

つれづれに芸能ニュース感想

 最近、という程今に始まったことではないけど、ネットとメディアについて思うことをちょっとばかしまとめてみようかな、と思う。

 

 今回話題に出そうと思うのは、嘘っぱちの夏目三久の妊娠報道。

 

 う~ん、これ、割と真面目に新聞社(日刊スポーツ)内部で何が起きたんだろう。だって、妊娠報道の嘘なんて、数ヶ月して夏目さんのお腹が大きくならなければ確実にバレるのに。多分なんだけど、ライターさん、情報を提供してくれた人に騙されちゃったのかね。記事が出回り始めた頃だと「確認は取れてないけど、確かな情報筋から聞いた」って話だったし。まあ、あの記事が出回るまでに何が起きたのかは神のみぞ知ることなんでしょうけど、巻き込まれた夏目さんと有吉さんの立場からすれば堪ったもんじゃないですよね。イメージ戦略が生命線と言ってもいい芸能界、こんな無責任な発言で仕事が削られたとか言ってら、本人たちからすれば冗談じゃないって話だと思います。

 しっかし何というか…メディアの関係者たちって、「芸能人なんだから仕方ねーだろ」「それも込みでテメェらは仕事やってんじゃねーのかよ」って思ってんだろうかねぇ。まあ確かに、一理あります。でも、それって他人が言うことなの?ってところでそもそも疑問。

 芸能ニュースに限らないことなんだけどさ、新聞ってモラルとルールの違いが分かってないよね。簡単に言うと、モラルは自主規制でルールは外部規制なのね。これは個人的な考えなんだけど、ルールは秩序を守るために必要性から生まれたことだし、モラルは思いやりから生じることなのね。新聞社に限らないけど、メディアって自分たちの仲間内で勝手にやっていいことと悪いことの線引きを設けているときがあるけど、その基準ってそもそも何のために設けているのか考えたことあるのかな。メディアの世界で競争があるとすれば、他の会社やら同期の記者よりもスクープを得ようとして過激な取材を行うっていことなんだろうけど、あんまりにも過激にしてしまうと巻き込まれた人に迷惑をかけるばかりじゃなくて、メディアに対する信頼度も薄れてしまうから超えてはいけない一定のラインを設けているんじゃないかと思うの。いくら基準に反していないからってあからさまに他人に迷惑しか掛けないような報道をしちゃったら、本末転倒だと思う。

 夏目さんの記事を書いたライターさん、スクープだと思って舞い上がっちゃったんだろうね。多分おそらくなんだけど、やっぱり陥れられたんだと思いますよ。じゃないと、自分に不利益にしかならない記事書かないでしょう。「記者なんだから裏付けの取れた取材しろ」って怒る人もいて当然だとは思うけど、こういう間違いって誰にでも起こることだし、まあちょっとかわいいとも思ってしまうんだよね。

 それよりも、私が許せないのは、それに乗っかっちゃった他のライターさんたち。裏付けは取れてないけど確かな情報?メディア慣れしてない一般人が騙されるならとにかく、仮にもその業界で働く人間だったら、こんなどう考えても胡散臭い記事、少しは疑いなさいよ。こんな大物芸能人が揃っておきながらスキャンダラスな写真一枚無い時点で、おかしいと思いなさいよ。馬鹿じゃねーの。

 まあ、私がネットでよく目にしてたのはアサヒ芸能だけど…まあなんでしょうね、「それは夏目さんの事では?」とか有吉さんの記事に一々書いていて非常に不愉快だった。本当に騙されて舞い上がっちゃってそんな記事書いたのか、それとも煽り文句で分かっててそういうこと書いたのかは分からないけど、いずれにしても不愉快。

 前者の方で不愉快に感じるのは、やっていることがネットと変わらないからなんだよね。つまり、責任を全く感じないんだよね。自分が争いの源の情報の発信源じゃないから何をやってもいい、って心理が丸見え。こうして報道が事実無根の嘘だったって真実が明るみに出たとしても、日刊スポーツが悪いって言えばそれまでだもんね。

 まあ、ネット民が祭りに乗っかってあれやこれやと騒ぐことに対してはそこまで憤りは感じませんよ。ネットって、良くも悪くも、人間の卑怯な心理を満足させちゃうシステムが整っているからね。そこでネット民に怒るのは、自然の摂理に怒っているようなものかななんて思います。こう書くとネットって卑しいものみたいに感じるかもしれないけど、現実問題から生じる鬱憤みたいなもののはけ口っていう意味では、程度を守れば良いツールだと思う。

 でも、大手のメディアがそういうことをするのはやっぱりダメだと思う。安全圏に閉じこもって誰かをボコボコニするのは気持ちいいだろうなとは思うけど、気持ち良いのは書いている本人たちだけね。読者はそういうの求めてないから。

 後者の方、つまり煽りで記事を書いていたとしても、同じ理由で嫌なんだよね。業界内で勝手に内輪で盛り上がっている様子とか、「お前らこういうのが好きなんだろ?」って鼻で笑ったような挑戦的な態度とかに、スゴく読者との温度差を感じる。

 読者は、というよりは私は、あんまり記事の内容に社風なり個人的な考えを交えないで欲しい。最初から黒だの白だの決めつけないで、色んな人に発言のチャンスを与えた取材をして欲しい。そんなこと言っても、取材する各々の現実把握能力に因るから、中立を本人たちは保っているつもりでも先入観バリバリの記事になってしまうのも仕方ないところではあると思うから難しいところ。これは特に、曽野綾子さんのアパルトヘイト問題のときに思ったことなのね。曽野綾子さんの書いたコラム自体は、少なくとも私が読んだ限りではアパルトヘイトのアの字も感じるような内容じゃなかった。曽野さんのエッセイとかを読んでも、アパルトヘイトを推進しているような内容は私は思いつかない。曽野さんが語っているのは、別の民族との交流がいかに難しいことなのかって問題なのね。それをどこかの頭でっかちがアパルトヘイトだって解釈したのを真に受けて、あたかも「曽野綾子アパルトヘイトを推進した」っていう事実があるかのように思い込んでしまった人が多いと思うのね。でも、火種が大きくなるっていうことは、本当の火種の素である「曽野綾子アパルトヘイトを推進した」っていう解釈が広まるっていうこととイコールなわけでしょう。そうなると、周りは「曽野綾子」「アパルトヘイト」ばっかり言うから、もう人間そういう目線でしか記事を見れなくなるのね。一種の集団催眠だよね。騒ぎ立てている人間は、周りに「曽野綾子」「アパルトヘイト」って騒ぎ立てる人間がいる状況ありきで騒ぎ立てているから、自分たちのコミュニティの中で勝手に盛り上がって燃え上っていても、気付きようがないのね。記者さんっていうのは当然周りが記者さんだらけだから、そういう状況を特に作ってしまいやすいのね。

 言うまでも無いけど、偏見が無い人間なんていないのね。記者さんと言えども、人間の性に逆らえ何て、人類が達成しえない壮大な目標を強制するのは酷だと思う。でも、もうちょっと神経質になってもいいかな~とは、夏目さんの事件とか起きると思うわけ。中立なのと、自分が中立だと思い込んでいるのとでは本質的に違うからね。人って、自分が中立だと思った瞬間に反省するのをやめるから、中立から最も遠くなってしまうから。

 新聞離れが嘆かれる昨今。ネットが新聞に替わるツールになったからとかとも言われているけど、もし、新聞をネットに替われないツールまで昇華したいなら、ここのプロ意識の差って重要になって来ると思う。だって、分かりやすく読者が求めていることじゃない?

 まあそもそも、今日の新聞社は商売が下手過ぎるって問題もあるので、コンテンツの充実が売り上げUPに繋がるかと言ったら微妙ではあるけれども…街角インタビューのような似非世間調査みたいなネットでいくらでも替われることをいつまでも慣習だからって続けてないで、ちゃんと読者に求められていることっていうのを意識して欲しい。社の生き残りをかけていずれ必ず問題になることではあると思う。

 

※ちなみにアサヒ芸能は週刊誌。新聞社じゃないよ。