アニメとかの感想書留

Twitter「@kanso_na_kansou」https://twitter.com/kanso_na_kansou カテゴリー一覧http://animekanso.hatenablog.com/entry/2016/04/07/124605

劇場版ポケットモンスター感想<ボルケニオンと機巧のマギアナ>

恒例のポケモン映画鑑賞会。そして例年通りのポンコツ映画。

しかし言っておきたいのは、決してつまらない訳ではありませんでした。まあ、よくわかんない爆発機械オチとか、多すぎるストーリーの矛盾点とかは恒例行事としてしっかり引き継がれてはいたんですけどね。

ゆえに今一つ、というか全く感情移入できなかったわけなのですが…結構面白いと思ってしまったんですよね。それは何故か。この映画オリジナルのアイディアが面白かったんですよ。例えば作中、ポケモンを強制的にメガ進化させ従わせるメガストーンが登場するんですけど、本編のメガストーンという世界観を広げた面白いアイディアだと思いました。ただ、悪者の目的を達成するための手段として活用されるのみで、それ以上の広げ方をされていなかったのが残念だったと思いました。

タイトルにもなっているマギアナなんですけど…このポケモンも、人間が一から創り出したという、これまでのポケモンとはちょっと違った生い立ちのポケモンでした。生き物らしい鳴き声とかを発することは無いし、声の替わりに発せられる機械音はピロピロと単調なパターンなんですけど、仕草とかその他もろもろの感情表現が細かくて素直にかわいいなと思いました。ただ、マギアナの隠された秘密、彼女(?)の心が宿っているソウルハートという石(?)は飛行石でした、というオチ。まあそれは予想通りです。それ以外の秘密は特にありませんでした。作中「マギアナの心が宿っている」と言われていたんですけど、どうやってこの石が誕生したのかということについて言及されているとより面白くなるんじゃないかなと思いました。ポケモンを機械のように言いなりにしてしまうメガストーンと、カラクリ人形をポケモンにしてしまうソウルハートは対極な性質なものなので、ソウルハートの生みの親エリファスの思いとかと絡めつつその設定を掘り下げたらもっと面白くなったんじゃないかなと思います。

それと、これもまたタイトルになっているボルケニオンというポケモンなんですけど…このポケモンも「人間は信用できねぇ」って耳に胼胝ができるくらい作中で言いまくるんですけど、どうしてボルケニオンが人間嫌いになったのかということについては一切言及無し。ポケモンたちの楽園で、人間たちに傷つけられたポケモンたちの兄貴分的な存在なんですけど、山の仲間たちが傷つけられたから嫌いになったのか、それとも個人的に裏切りにあったからなのかは不明。「人間は嘘を付くけどポケモンは嘘を付かない」という彼の印象的な台詞があるんですけど、それがボルケニオンの個人的な体験から発せられた台詞なのかは作中明かされることはありませんでした。おそらく尺が足りなかったのではなく、単純に考えていなかっただけだと思われます。最終的にサトシを信頼するというラストに持って行くなら、ボルケニオンの人間不信のメカニズムはもっと深く掘り下げて、ボルケニオンの視点から「サトシは自分の知っていた人間とは違う」って思わせる展開に納得が生まれるものにするとよかったのではないかと思いました。

物語の舞台となるアゾット王国も、カラクリ仕掛けの王国という設定で、かなり具体的な特色のある街だと思いました。しかし、作中では、神秘科学の大家エリファスの故郷であり、そこに破壊兵器が眠っているという設定が説明されるだけで、他にアイディアの広がり方が全く見えませんでした。いや、物語的な役割としてはそれで十分と言ったら十分かもしれないんですけど、かなり凝った背景絵で面白い街なのに、最初と最後以外全然登場しないんですよ。基本的にサトシたちは、アゾット王国とネーベル高原を繋ぐ道を移動しているだけなので、映画全体の印象としても、カラクリというキーワードは印象に残りにくいものになっていました。純粋に勿体ないと思いました。

 

 ラケル王子

 カラクリの王国、アゾット王国のラケル王子にはジャービスという科学者がいました。ラケル王子はジャービスに騙される形でマギアナからソウルハートを抜き取ってしまうのですが…正直、この展開要らなくね??別にジャービスラケルの力なんて借りなくても終始悪事を働くことなんてできたよね?

 ラケルの成長物語が描かれているならまた別問題になって来るんですけど…ラケル王子は肝心なところではずっと眠っていて、破壊要塞を爆発させる直前に、バルブを回すための力仕事を手伝うという活躍しか見せませんでした。

 ・・・

 まあ、ぶっちゃけ、声優さんをゲスト出演させたいだけだったよね、っていう。

 でも、ゲストキャラはゲストキャラとしての活用のさせ方はあると思うし、こんな物語の根幹にかかわるところに登場させておいて、描写が投げやりって一体何を考えているんだ。

 個人的な意見。ラケル王子を中心に物語を展開した方が面白くなったんじゃないかなって思わないでも無かったり。

 ラケル王子は小さいころからカラクリが大好きで、ジャービスの勧めで神秘科学の大家のエリファスの研究に特に興味を抱いているキャラクターなんですけど、この人、アゾット王国、アゾット王国に献上されたカラクリポケモンマギアナ、エリファスなど色々な設定の中心に関わる人物な訳ですし。「間違いを認めて前進する」って物語的にも主軸がしっかりしたものが作れそうですし。

 サトシたちにはキミア王女というラケル王子のお姉さんが味方に付くことになり、物語の設定を色々と教えてくれるキャラではあるんですけど…ラケル王子を中心にした方が、便利屋フェアリーとして以外の役割も担えそうなキャラだったのになあと残念に思うところではあります。

 

ラピュタ

 破壊要塞が予想以上にラピュタで笑いました。しかしその破壊力は、ネーベル高原の温室育ちのポケモンたちに一致団結されて防がれる程度の攻撃力です。

 破壊要塞を爆破する直前に「私は研究室に閉じこもりっぱなしで」(←ここまではいい)「けっかジャービスに騙されることになった」というトンデモ理論がラケル王子の口から展開され、サトシはそれに対して「ポケモンたちと旅に出た方がいいと思うぜ」という謎のアドバイスを投げかけます。そういうラストにするなら、ネーベル高原を守ろうとするポケモンたちの底力に感銘を受けるシーンとかあってもよかったんじゃないかと思いました。

セーラームーンcrystal第三期<感想まとめ>

 

 

・・・やはり私は間違っていた。

 

私はこのアニメを真剣に鑑賞する前に、「このアニメの失敗点は原作を考えなしにそのまま焼き直ししたことにある」と書きましたけど、それは紛れもなく間違いでもあり正しくもあります。

というのもこの言葉、「どうせ漫画をアニメ化するならそれなりの工夫を見せてくださいよ」という意味で言っていたんですね。1期と2期は飛ばし飛ばしで鑑賞していたので、内容そのものよりも、テンポの悪さにばかり目が行ってしまっていたんですよ。しかし実際のこのアニメの欠点は、アニメ的な表現云々などと言った高級な次元での話ではなく、出発点である原作のデタラメな筋書きに起因していました。私は自分の的外れな感想を恥ずかしく思うのと同時に、「物語を鑑賞する際の『積極的に観ようとする意志』の大切さ」を教えてくれたこのセーラームーンcrystal第三期というアニメにある種の敬意を抱きました。

さてさて、一応半分を少し超える辺りまで感想を書き続けていたアニメなので、途中で各話の感想を放棄したとはいえ、最終的なまとめの感想はしっかりと書いておこうと思っていました。しかしここで難題を突き付けられます。先程書いたようにこのアニメ、本質的にはただただデタラメなだけで内容もへったくれもないので、具体的には「ここのどこそこがおかしい」と逐一指摘することでしか「感想を書く」という行動を示すことができないんですよ。しかもこのアニメ、分刻み、いや、秒刻みでこちらの常識を混乱させるようなぶっ飛んでトンデモ展開を繰り出してくるので、真面目に内容に突込みを入れていたら多分それだけで一生を終えてしまう気がします。

 

…ということで、今回のまとめの感想はナシということで。

 

としてしまうと本当にこのアニメに負けたことになりかねないので、強烈に印象に刻みつけられた内容だけピックアップして、「まとめ感想らしきき何か」を作り上げようと思います。

 

全体を通したあらすじ

箇条書きにして時系列順にまとめようと思います。

 

①新たな敵出現

②ウラヌス・ネプチューンの登場と、うさぎを巡る恋模様。

③サターンの出現と世界の運命

 

こう書いてみるとそれなりに内容がまとまっているように見えるのがあら不思議。しかしふたを開ければ中身はぐちゃぐちゃです。

まずは①新たな敵出現について説明しましょう。今回の敵はデス・バスターズと名乗る連中で、異次元宇宙からやって来た侵略者。これまでの敵とは一味違い、人間を化け物に変える、という恐ろしく外道なことをしてくる連中です。しかしセーラームーンたちはこの現象を不気味に感じたり驚いたり嘆いたりという感情の起伏を一切示しません。それどころか、目の前で化け物にされた人間に、敵を殺すためにぶっ放ってきた特攻型の攻撃をためらいなくバンバン打ちまくります。物語の終盤になって、引っ越しした友人を気に掛ける程度に地球の命運について心配しますが、結局最初から最後まで、一般人を心配するような描写はついに一度たりとも描かれることはありませんでした。

 正直、これじゃあ何のために正義の味方をしているんだろう、と疑問に思います。命を懸けて敵に立ち向かう、というのはそれなりの使命感や覚悟が要るもの。自分たちのことしか見えてない人たちが、命を懸けて地球を守るという行動をとるための動機ってなんでしょうね?真面目な話。彼女たちは、将来自らが統治者として君臨する地球というマイホームを守るために戦っているんだと思います。しつこいくらいの繰り返すプリンセス設定や、衛とちびうさとの家族ごっこを踏まえ、本編の内容と何とか辻褄を合わせようとすると、必然的にこういう結論が導かれてしまいます。というか、軒並み選民意識を感じるキャラクター設定を考慮すると、割と作者も本気でそういう内容にしたかったんじゃないかと私は疑っています。

 さてと、続いは②ウラヌス・ネプチューンの登場と、うさぎを巡る恋模様について説明しますが…まあ、簡単に説明すると、はるか(ウラヌス)・うさぎ、衛の三人のなんちゃって三角関係です。

 まあ、なんというか中盤は、本来ならば新しい戦士の登場により盛り上がってもおかしくない、むしろ盛り上がらない方がおかしいような内容なんですけど、肝心の主人公のうさぎは新戦士のウラヌスに関して「男なのか女なのか」ということばかり気にしており、彼女たちの戦士としての立ち位置とか、そういうものは二の次、というか殆ど全く触れられない内容となっていました。その上、ウラヌスたちはウラヌスたちで特に意味も無くセーラームーンたちに必殺技を仕掛けてきたり、かと思えばいきなりセーラームーンに忠誠を誓い始めたり、かと思えば最優先に安全を考えなければならないセーラームーン向かって「助けたくないけど身体が勝手に動いて助けちゃった」的な発言をし始めるし…

シーンが変わるごとに、ちょいちょい設定がリセットされるので、「よくわからない」というのが中盤に対する率直な感想となっておりました。

まあ、でも、一応バイトルヒロインもので、中盤がいくら滅茶苦茶な内容とはいえ、デスバスターズという倒すべき敵が定まっている以上、それっぽくまとめたように見えるラストに仕上がるかなと思ってはいたんですけど…甘い考えでした。

③サターンの出現と世界の運命と終盤の内容を表現しましたけど、本来はキーパーソンとなるべきセーラーサターンは、物語進行上の理由により、特に意味も無く二回殺される結末となります。一度目は、敵に一方的にやられるばかりの足手まといの内部4戦士たちの命を助けるために自ら犠牲になり、そして二回目は、まだ余力を十分に残しているけど何故か世の末を他人事のように傍観しているセーラームーンの替わりに頑張って過労死しました。「とりあえずキャラクターを殺しておけば感動話に聞こえるだろう」という安直な発想が伺える、ある意味漫画版セーラームーンらしい内容に仕上がっていて、その点では納得できる結末だったんじゃないかと思います。

しかしまだこのご都合主義の展開はまだ優しいレベルで…セーラーサターンなんですけど、世界に終焉をもたらすため召喚される前に殺さなけらばならない、っていうのがセーラー戦士たちの定説になっていたんですね。敵が世界をいよいよ侵略する、という場面になってセーラーサターンが召喚されるんですけど、当然ウラヌスたちは「世界の終わりだ」と嘆くわけです。(まあ、普通ならウラヌスたちが敵の侵略とセーラーサターンの登場により二重に絶望したっていう展開なんでしょうけど、作り手がこういうキャラクターの心情を計算していたかは不明。というか多分想定していない。サターンの強さを示すための演出として取りあえずウラヌスたちを絶望させておいた、という方が正のかもしれない…。)しかし、サターンが敵の大ボスと心中しようというシーンになっていきなりサターンのことを心配し始めるという始末。ウラヌスたちからすれば、二大災害要素が相殺して消滅するわけですから、両手を叩いて喜んでいいはず。しかし、「サターンが献身的に死ぬ」という感動を盛り上げようとするために、キャラクターの心情を無視して無理矢理悲しませて見せる、というのがセーラームーンcrystalの恐ろしいところです。

 

 

キテレツキャラクター大百科

月野うさぎ~~セーラームーン~~

能ある脳なしプリンセス

 

まあ正直、この人が幻の銀水晶という何でも願い事を叶えてしまうチートアイテムを持っている時点で、いくら敵が残忍な手段を用いようが、いくら仲間どうしで喧嘩しようが、悲壮感何ていうものは生まれるはずがありません。

まあ、世界の終わりが訪れようが、恋愛が絡まない限り自ら動かない怠け者なので、彼女を働かせるのはある意味敵を滅ぼすよりも難しいのかもしれない。

 

 

内部セーラー4戦士~~セーラーマーキュリーマーズジュピターヴィーナス~~

見方側の戦闘員

 

 本来ならば、セーラームーンに力を貸してくれる頼もしい仲間たち。しかし視聴者の印象に残ったのは、何といってもスッテンコロリン敵の攻撃を受けてぶっ飛ばされるみっともない姿でしょう。

それなりの活躍を見せてくれたのは、敵の末端の末端と戦っている最初の3話くらいまででした。

敵の雑魚幹部には一体一で戦っては敗れ、という展開を5話繰り返した挙句、何故復活したのか作中でも一切の説明が無い再生怪人たちにこれまでのまとめと言わんばかりに再び敗れ、しかもその直後、無限学園探索中に、ビルの崩壊という自然災害に巻き込まれて訳も分からずに敵の手に落ちてしまう、という役立たずっぷり。最終決戦では四人力を合わせてもちびうさごときの火力にすら敵わないという事実を突きつけられ、ついには最終決戦において、肝心な時に敵に魂を抜かれ敵に人質とされてしまいます。

 ところで、私は昔、ポケモンをプレイするときは、最初に貰った一体だけを育てるスタイルだったんですね。バランスよく育成するのは時間もお金も掛りすぎます。相性の悪いジム戦とかになったら面倒なんですけど、控えに居る雑魚を出して時間を稼いでいる間、適当に要のポケモンを回復させてやれば大抵なんとかなる。もしかしたらセーラームーンの作者も、似たような感覚を持っていたのかもしれない。

 

 

天王はるか~~セーラーウラヌス~~

怪人二十面相(?)

 

 男にも女にもなれて、人格がコロコロ変わる。そこから導かれる結論は…!!

 

 彼女には実体なんてそもそもなく、変装の上手い誰かさんたちが替わりばんこで役柄を演じていただけかもしれない。

 

 

海王みちる~~セーラーネプチューン~~

背景のワカメ

 

 恐ろしい程空気のキャラクター。学芸会でおなじみの背景のワカメ、以上に空気かもしれない。

 

 

冥王せつな~~セーラープルート~~

初心者マーク

 

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 ネプチューンと並ぶ空気キャラ。

 

 

土萌ほたる~~セーラーサターン~~ 

拗らせた中二病

 

①暗いところが好き

②急に発作が・・・!!

③いつも黒い服を着ている

 

 一応、②と③については作中で説明あり。ほたるの身体はサイボーグにすることでなんとか命をつなぎとめることができており、全身黒い衣装を着ているのはサイボーグの身体の秘密を隠すため、らしい。しかし、これらのことはほたるを苛める学園の生徒たちの口によって説明される設定ではあるんですけど、毎日黒タイツを履いているから苛めるって一体…そもそも、あんな全身メカニックになっていたら黒タイツを履いたくらいじゃ隠すことなんてできないと思うし、学園生活を営む上で、たとえば体育とかなんかではみんなと一緒に体操服に着替えないといけないのに、隠し通せるの???という純粋な疑問が湧いてしまいます。まあ、いずれにしても作中で「位ところが好き」な理由の説明は一切なかったけど。

 

 

土萌教授~~マッドサイエンティスト~~

「マッドなのは俺だけじゃない!!」

 

登場人物が軒並みマッドです。そういう意味では、土萌教授は全然マッドじゃありません。

というかそもそも、土萌教授がどうしてマッドサイエンティストと呼ばれているのかが謎なんですよね。娘の命をつなぎとめるために、娘の身体をサイボーグに改造するのってそんなにマッドなの???どちらかというと健気な気もするんだけど。

いずれにしても、今回敵が地球に侵略してきたのは、土萌教授の歪んだ心が彼らを招いたからだそうです。ということを、実の娘から説明されてました。ほたるも土萌教授のことをどう思っているのか分からないんですよね。彼の死に対して涙をはらはらと流す程心配して見せたかと思えば、数分後には完全に忘れ去ってしまうし。挙句の果てに、歪んだ心とまで評してしまうし。

まあ、なんどぶり返したら気が済むんだって話なんですけど、土萌教授の、ダイモーンに関する動物実験を狂っているっていう描写がそもそもおかしい。っていうか、動物実験=悪みたいな考えがすでに安直。私はむしろ、人が化物になる現象を自然と受け入れてしまっているこの世界の住人の方が十分にマッドだと思うんですけどね。

 

 

たまには更新

最近は忙しくてめっきり映画とかドラマとかアニメを鑑賞する時間は減りましたけど…正直、観ても観なくてもどっちでもいいや、ってものが多いので別に残念ではないかな。少し前までは、特に深夜枠のアニメなんかだと、悪目立ちしているシナリオの欠点なんかを自分で分析するという変態的な作業を楽しんでもいたんですけど、個人の力量が及ぶ範囲での分析はもうし尽くしてしまった感じがします。ドラマやアニメというのは、製作に携わる会社や個人がそれぞれ違っているので、作品によって欠点の持ち味も変わってくるような気もしますけど、不思議と傾向と相場は決まっているんですよね。まあ、深夜アニメなんて特に、場慣れしてしまっている人には「深夜アニメ的な脚本」というのが一部分だけ切り取っても分かってしまうところもあるとおもいますし。

あまり抽象的な書き方をしても伝わりにくいので具体例を挙げすね。

この間、偶然夜中、暗〇教室という名前のとあるアニメがやってたんですね。私自身はこのアニメに関しては原作含めて全く知らないので、そのときも完全に聞き流し状態だったわけなんですけど、登場人物の「これは、私たちが解決しないといけないことなんです!」という台詞が聞こえて来た途端、なんか頭に引っかかるものがあったんですよ。なぜって?「戦闘シーンでベラベラと大事なことを登場人物に喋らせて、シナリオの意味を説明させる」っていう手法はこの界隈の常識です。暗殺教室は原作がジャンプに掲載されているアニメらしいんですけど、もしかしたらこのシーンはアニオリなんじゃないか、ってピンときたんですね。

調べてみた結果大正解。

一応言っておきますけど、バトルシーンでキャラクターが会話を重ねることが悪いって言っているわけではないですからね。ただ、「そこをドラマで観たかったのに」って思うような大事な部分を、シナリオ的な意味合いを一切持たせずに、ワンシーンのキャラクターの台詞を通じて消化させるという手法に心底がっかりするだけで。

まあ、今「深夜アニメ」とジャンルをひとくくりにしましたけど、なんだかんだでドラマ業界やアニメ業界全体に、このような作品としての欠点の均一化が進んでいるような気はするんですよね。どうしてこうなってしまったのか、と言うことに対しては色々原因は考えられるのですが…私は一番は「描きたいと思うような内容が無い」からだと思っています。私のお気に入りの小説家さんの若い頃の書いた小説は、単純に文章も構成もヘタクソで、読破することにかなりの労力を要する内容になっていましたけど、読者に無感動という悲しみを残すような内容じゃありませんでした。伝え方は上手い方がいいですけど、それ以前に作品としてのテーマが無いと、お話の矛盾を指摘するとか、そういうひと時のネタで終わりそうなどうしようもない感想しか持ちえないじゃないですか。

まあ、矛盾するようなことを言いますけど、テーマが無いのがいけないかというと…そうでもないと思ってはいるんですけど。

まあ、ここまで愚痴を読んでくれた誰かのために、私の深夜アニメの鑑賞テクニックを一つ紹介しましょう

 

・最初の1、2話で概ねの世界観を説明し切れていないものはクソ

 

まあ、そういういアニメってスタートラインで大切な世界観の説明を省いて何をしているのかっていう話なんですけど、割と丁寧に箸にも棒にもかからないような友情物語や寒いギャグシーンを描写したりします。で、6話過ぎた辺りから尺が足りないことに気付き始めるのか、急ピッチで物語が展開して、今更かよと思うような世界観の説明や、明かされてもへえとしか思わないような謎や伏線が回収されます。で、それを一度にやりすぎてごちゃごちゃします。

どうしてこんな計画性の無いことをするんだということなんですけど、私は「尺が足りない分には構わないけど、余るのは困る」という製作者側の都合があるように思います。尺が余ってしまうと新たにシナリオを考えたりする手間があるけど、足りない分には、国語の要約問題みたいに最低限のキーワードを散りばめれば最低限作品っぽいものは完成するだろう、っていう目論見があるように感じますね。

念押ししておきますけど、これはあくまでもこの枠のアニメに(1年と6ヶ月くらいの短い間だったけど集中的に)付き合い続けて来た私の個人的な感想です。実際のところどうなのかは誰にもわからないし、もしかしたら本当に計画性が無いだけのことかもしれない。まあ、「やる気が無い」っていうのは事実だとは思うんだけど。

(まあ、やる気を出したところで、芸術的な描写をするっていうのが工夫の上限値、っていうのも悲しい現象もあったりする)

人生山あり谷ありって言う言葉があるように、業界にも好調なときと不調な時があります。上がり続ける株も無ければ下がり続ける株もありません。いつか「普通に」良質な物語が作られるその日が来ることを祈って、視聴者としては待ち続けることしかありませんね。

(セラクリ3期)第7話感想~おしまい~

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前期で皆の命を守るために死んだセーラープルートはネオクイーンセレニティの力であっさり復活。ちびうさとの感動の再会を消化すると、うさぎはプリンセスの姿に。

喉にとげとげが刺さりそうなネプチューンに代ってウラヌスが首を垂れてプリンセスに忠誠を誓うんだけど、平均以下のコミュニケーション能力しかない合計10人の会議で話がまとまるわけがなく、「俺たちに全部任せろ」と大口を叩くウラヌスと「力になりたい」と比較的まともなことを言うセーラームーンとで意見交換会は平行線。

 

そんなこんなでいつの間にか日付は変わり、ウラヌスたちが喋りきれなかった長い設定をTVやハイテクパソコンで説明されるシーンに移行。ルナやうさぎたちはちびうさに「友達のスパイになるように」と残酷な責務を平然と課すけど、これがまた割とちびうさはノリノリでOK!!

 

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一方カオリナイトは 占い→「ふしぎな力に邪魔された」→部下にセーラームーンたちを殺すように命令 と、トウモロコシを観客にいつもの殆ど独り芝居に専念。演出さんが頑張ってくれているおかげでそれっぽく強く見える悪役たちですけど

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↑俯瞰的に見ると弱そう。

 

そんなこんなでちびうさはほたるから遊ぼうと誘われてルンルンとその誘いに乗っかるんだけど、いつまでも待ち合わせ場所に来ないほたるを心配して家まで迎えに行くんだけど、そこでほたるのグロテスクな身体の秘密を発見。ちびうさはビックリして逃げてしまい、ほたるはちびうさに嫌われたと思い込んで内向的な絶望に浸るんだけど、残念ながら彼女の出番はここまで。

 

ウラヌスを狙って出陣したはずのウィッチーズ5の最後の一人シプリンは、不思議な力を使ってなぜか街の人たちを暴徒化させて、それを止めるためにウラヌスたちが戦うんだけど、残念がら完敗。戦闘始まってから負けるまでおよそ15秒。

製作者側の都合で特に意味も無い攻撃を仕掛けて来たウラヌスたちのことを根に持っているまことは「見捨てようぜ!!」って皆に呼びかけるんだけど、うさぎの一声でみんなも現場に参戦。ゲーセンの地下室から戦場の屋上まで移動するのにおよそ20秒。これまで屁みたな攻撃しかしてこなかった内部太陽系の戦士だったのに、助っ人の立場が逆転した途端に敵の攻撃を相殺するという快進撃。

しかしそれも三秒天下。銀水晶のオートディフェンス機能完備のムーンを除いてみんな敵に洗脳されて、絶体絶命大ピンチ!!

唯一戦闘能力のあるセーラームーンの攻撃が全く通じないという絶望的な状況の中、お互いに攻撃し合うセーラー戦士たちの心理を文学的に分析する余裕のあるセーラームーンが、不思議な力を発揮する素振りを見せて今回は終了。

 

はい、特に感想らしい感想は無い回でした。今回はなんかノリで感想を書いてしまいましたけど、もう最終話が終わるまで各話の感想を書くことは無いと思います。

それではまた会う日まで!!!!

 

 

 

 

(セラクリ3期)第6話 無限5

感想

最初の二話を前編・後編と言う括りにしてしまったため、5話が4で6話が5でとなんだかややこしいことに。最初の二話を前後編のくくりにすることに強くこだわらざるを得ない程重要な伏線やら何やらが集約されているならとにかく、そんなものはあるわけないし、そもそも、最初の二話は「状況に流されるままうさぎたちが変身して敵を倒す」って定型は他の話と全く変わらないものになっているので、この二話が二つで一つになっているなんてことは言われなければ全く気付きません

タイトルのつけ方に関してもっと言ってしまえば、セーラームーンcrystalって

 

Act○○(←全体を通しても話数) □□(←サブタイトル) △△(←サブサブタイトル)

 

という表示形式になっていて、毎週代り映えのある部分って、右下にちょこっと小さく書いてあるサブサブタイトルしか無いんですよね。

う~ん。

サブタイトルに独創性を持たせるのは悪いことじゃないと思いますけど、こういうタイトルのつけ方って果たして独創的と評していいものか。

一話完結を積み重ねる物語であっても、全体を通して一つのテーマを描こうとする物語であっても、いずれにしても「一話』という区切りは確固として存在するのであって、タイトルはその区切りを代表する『顔』のようなもの。レンタルショップでDVDの裏側を見たときに「観てみたい!」と思う方向に心を動かすようなものであったり、Wikipediaで書くわ一覧を見たときに「この話は面白かったなあ」と思いをはせたりするようなものが、サブタイトルとしてはふさわしいです。しかし、あくまでもこれは理想論なので、そんなサブタイトルのつけ方は狙っても中々できるものではないし、たとえキャッチーなものでなくてもそれに腹を立てることではありません。

じゃあ、どうしてこのアニメに関してはサブタイトルごときに腹を立てているかって?そんなの決まっているじゃないですか。視聴者を端から相手にしていないからです。視聴者を意識していたら、こんな不親切な設計にはならないと思います。

大切なことなので繰り返しますけど、サブタイトルに独創性を持たせることは悪いことではない、むしろ大切なことだと思います。しかし、独りよがりでお洒落を追求したようなサブタイトルを独創的と評していいものなのか。(これを独創的と言ってしまったら、他のアニメに失礼なレベルだと思う。)

まあ、ここまで叩いておいてアレなんですけど、一応このタイトルのつけ方にも利点は無い訳ではないです。「先頭に『無限』って文字が見えれば第三期だな」って判別ができるので、Wikipediaとかで各話リストを開いてみる分には便利ではあります。本編では、あまりにも目立たないタイミングで目立たない位置に目立たないフォントで記されているので見落としがちですが、サブサブタイトルが本来サブタイトルが担うべき役割を一応背負ってはいます。Wikipediaのように、一律の文字の大きさでサブタイトルの横に記載された表形式で見ると、ちゃんとサブサブタイトルもその役割を全うできているでしょう。まあ、それを本編でやらないと意味が無いと私は思いますけどね。

でも、「サブサブタイトルがサブタイトルの役割を担っている」って言っておきながらアレなんですけど、サブサブタイトルのつけ方にセンスが無いことも否定できません。

今回のサブサブタイトルは『SAILORPLUTO 冥王せつな』だったんですけど、この題からして大活躍をするんだろうなと思われるセーラープルートこと冥王せつなさんなんですけど、うさぎたちと関係のないところで植物鑑賞をしているうちにひっそりと死にかけたおばさんで、いつの間にか息を吹き返して唐突にラストシーンで登場すると、必殺技を打って一言喋って終わりというものスゴく影の薄い控えめなキャラクターなんですね。当然、タイトル映えなんてしないわけです。まあ、だからと言って他に活躍をしたキャラクターがいたわけでも、物語的な見せ場があったわけでもないので、他にどんなサブタイトルにしたところでしっくりはこなかったと思いますが。

 

 

奇天烈シーン大百科

Act.1

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車のフロントライト敵の大ボスが「セーラームーンたちが滅茶苦茶強い」的なことを言ってますが

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敵の雑魚幹部に一掃されます。

いつもの

 

Act.2

ちびうさにとって大切な友達とは、という話の流れで名前が挙がったのが「ほたるちゃん」。

どんな人なの?と友達に訊かれたちびうさの答えは「神秘的で綺麗な人」。ほたるの長所を褒めている、っていうニュアンスでもないんだよなあ。

 

Act.3

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「同じセーラー戦士なので、どうしてこんな、喧嘩してるみたいな状態、続けなきゃいけないのか。二人に会って、ちゃんと話がしたいの」

珍しくまっとうなことを言ううさぎでしたが

まこと・亜美「いっけない。部活行かないと」

 

エッΣ(゚Д゚)(何が起きた???)

 

うさぎ「二人とも、冷たーい」

まこと「なるようにしかならないさ、うさぎ」

亜美「あたしたちは、今できることをした方がいいわ」

 

カオスな会話が。

「なるようになる」ように努力した方がいいと思うし、うさぎはまさに今、「今できること」をしようと二人に話を持ちかけたんじゃないのかな?

 

その後も立て続けにまことが「あたしたが今しなくちゃいけないことは、敵の手が広がるのを食い止めることだよ」とかほざいてますけど、そのためにもウラヌス・ネプチューンと共闘関係になるようにお願いしたほうがいいんじゃないかな?

 

 

Act.4

ちびムーン「あたしも力が欲しい。せーらムーンを助けて、一緒に戦いたい!!」

強い願いからちびうさはロッドを誕生させて、必殺技を放ちます。

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「ピンクシュガー・ハートアタック!!」

ロッドから放たれたハート型の光線が、敵のテルルンに向かいます。眩しいばかりの輝きに周囲は包まれて、これにはさすがのテルルンと言えども圧倒・・・・・・されません(笑)

 

全く効きませんでしたナンデヤネン!!

(セラクリ3期)5話・無限4

あらすじ

みちるとはるかの登場によりうさぎとまもるが喧嘩したりイチャイチャしたり忙しい一方、敵動きを探ろうと一人セーラーマーキュリーが無限学園に乗り込むんだけど、敵に一方的に返り討ちにされてピンチな状況の中、助っ人に参上したウラヌスとネプチューンに敵を退治してもらってめでたしめでたし。

 

感想

恋愛という二文字に全てを支配されているうさぎの脳の構造が気になる。

いや、「身を粉にして働く正義の味方なんだから恋愛なんてしてる暇はねーんだよ」っていうことを言いたいわけじゃないですよ。ただ、肝心の主人公のうさぎが恋愛しか眼中にないから、この先どういう風にして悪の組織と立ち向かうってシナリオを展開するのか見ものですけど。

まあ、多分、戦士の使命に関する部分とか、シリアスなところは他のセーラー戦士たちに全てを背負わせて、主人公のうさぎはそれと一切関係の無いところで恋愛の三角関係に苦しんで、最後の最後で幻の銀水晶の力を引き出すための召喚獣として「それらしい良いこと」を言う無個性の正義の味方にされるんでしょうね。今回の話、「うさぎが誰よりも早くウラヌスの正体に気付いた」って展開があるんですね。普通この流れならウラヌスたちに協力をお願いするって展開なるんだろうなと予測していた矢先、「あなたは男なの女のなの?」って台詞をうさぎが喋らされたときには「そうきたか!」と思いました。この物語を考えた人は、意地でもうさぎを能ある脳なしプリンセスに仕立て上げたいらしい。

旧作のセーラースターズと殆ど同じ過ちを繰り返しているって言うね。

まあ、そもそも、セラクリの「はるかがうさぎに恋をする」って展開も、旧作の「セイヤがうさぎに恋をする」って展開も、そもそもうさぎに納得できるようなモテ要素が皆無だって点で、出発点から挫けているんですけど。何か運命的な出逢い方をしたわけでもないし、うさぎが絶対的な美貌を兼ね備えているってわけでもないし、自然と心が魅かれるような明るさだったり魅力的な考えを持っているわけでもありません。セラクリに関しては、ゲームセンターで出会ったってだけの関係で、それ以上に深くかかわることなんて1ミリたりともなかったはずなのに、前回のラストでははるかことセーラーウラヌスがいきなりキスを仕込んでくるという超驚愕吃驚展開。セラクリ三期の感想を書き始めてから何回使った言葉かわかりませんけど、「常軌を逸している」以上にピッタリくるようなフレーズが見当たりません。

旧作のセーラーウラヌス・ネプチューンも、気持ちミステリアスな空気をかもしだす役割が与えられているところとか、その場しのぎの盛り上がりを演出するだけのキャラクターと言う意味では、物語の進行と共に「行動に一貫性が無い」キャラクターに成り下がってしまってはいたんですけど、セーラームーンクリスタルではうさぎと衛の恋愛模様をかき乱すために用意されただけで「行動に一貫性が無い」キャラクターになってしまっているっていう意味では共通しています。まあ、セラクリの方はまだ物語が完結していないのでまだ結論を出すのは早すぎるんですけどね。「最低限の整合性」が欠落している1~4話を見せつけられて、最悪に備えて腐しておきたい心境になっているわけではありますけど。

 

さて、ウラヌスとネプチューンのことばかり書きましたが、設定上はセーラームーンを助ける4戦士がセーラームーンに助けられる奇天烈な展開とか、問題点は探そうと思えばいくらでも見つかります。どのシーン、どの台詞をとっても突っ込もうと思えばいくらでも突っ込める、っていうのがセーラームーンcrystalのスゴいところですが、まあ、(色んな意味で)面白いと思ったところだけピックアップして書こうと思います。

 

 

みちるさんの音波攻撃

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完全に一致。

っていうかこういうのってさあ

 

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基本的に悪者とかネタキャラのすることじゃないの?

 

 

ルナ「あの二人は、本来ならこんなところに居るはずがない戦士よ」

前回、後姿を見ても検討もつかないようなことを言ってたのはどこの誰でしたっけ?ウラヌスとネプチューンの正体について知らない体を装っていたルナさんですけど、別に彼女たちの正体を前回バラそうが今回バラしていようがシナリオ的には全く影響はないんですけどね。

まあ、そんなことはさておいて。ルナの言葉を受けてうさぎが「あの二人は敵じゃないよね?仲間の戦士だよね?」って必死になるシーンがあるんですけど、正直、「はるかとみちるを仲間だと信じたい」うさぎの心情が理解できません。数日前に知り合ったばかりで、たった二三言挨拶を交わした程度の付き合いの人間に、必死になるほどの強い思い入れを抱く理由が分かりませんでした。

ルナや他四人のセーラー戦士たちが、はるかとみちるを敵じゃないかって疑う理由もわかりません。だって、ルナの解説の「ウラヌスとネプチューンはプルートと同じ位置づけ」っていう説明は「敵じゃない」って暗に説明しているようなものなのに。雁首揃えてアホですか?

 

 

ちびうさ「立派な戦士になるまで帰らない」

立派な戦士って何よ?

ちびうさがホームシックになって泣くシーンでの台詞なんですけど、ちびうさが現代にとどまっている理由も特にないんですよね。

 

 

亜美「動物実験室!?」

なぜ分かった?流石IQ300

いやあ、ちびうさはほたるから「パパが学園で怪しげな動物実験をしている」って教えられているから、この部屋の中に入った瞬間そういう発想が出て来てもおかしくはないんですけど、亜美ちゃんはそこら辺の事情は一切知らないことになっていますからね。

まあ、そんなことは割とどうでもいいんですけど。それよりも問題なのは、これまでうさぎたちが戦ったダイモーンは1匹の野良猫を除いて全て人間が改造されたものだったので、正義のヒロインならここで「酷いことをする」とか「助けなきゃ」とかそういう感想が無いとおかしいわけですよ。まあ、これまでの話の中でも「人間が化物に改造される」っていう外道な戦法に一切の感情の起伏を示してこなかった連中なので、今更「かわいそう」とか言い出しても唐突感は否めなくなりそうですが。

 

 

うさぎ「助けてくれたの?私たちを」

ここまで行くと細かい突込みになってしまうような気もしますが…。

秘密基地でのルナや他セーラー戦士たちとの会話を聞いている限り、うさぎはウラヌスとネプチューンを味方だって信じたいような感じだったんですけど、この台詞を聞いている限りだとウラヌスとネプチューンを敵だって疑っている感じなんですね。「やっぱり、味方だったのね」って台詞にならないんだなあ、と思いました。

 

 

 

 

セーブポイント

あらすじ

サライムシにさらわれたディアンシーを追っているうちにドドロを目覚めさせてしまったという物語。

 

遂にこの映画の感想を書く時が来たか…。ポケモン映画はヤバくつまらないのは多いんだけど、xy編で多分一番つまらなかったと思われる。劇場で鑑賞したんですけど、放映後に隣に座っていた小学生が「あー、やっと終わった」って言ってDSを取り出したその時の光景をかなりはっきりと覚えている。

 

 ポケモンの映画は、予算をふんだんに使ったよく光るよく回る作画だけが見どころなのに、ディアンシーの映画に関しては印象に残るアクションシーンというものが一切無く、その上テンプレートを張り付けたようなガールズトークが多く、拷問に等しいほど退屈。全編にわたって、ディアンシーを狙う怪盗たちから逃げ回るというのがシナリオの主軸になっているんですけど、サトシとのポケモンバトルで普通に負けてしまうようなポンコツ集団なのでスリルなんてものは全く生まれないので、彼らから逃げることの必然性も無いしスリルなんてあるわけがない。TV版のロケット団との馴れ合いのシーンだけをひたすら引き延ばし、繰り返しているような異常事態になっていました。

しかしこんなのはまだまだ序の口で…。

 

メレシー

お姫様ポケモンディアンシーのお供のポケモン三匹、それがメレシー。ディアンシーは口うるさいメレシーと一緒に居るのが心底嫌になり、こっそり隙を観て逃げてしまいます。

セレナたちとショッピングをしてウキウキ気分なところメレシーたちに見つかって、サトシたちに「追われている」と意味ありげな台詞を投げかけて、ディアンシーは彼らから逃げようとしました。

まあしあかし、このシーンも狂っているというか。メレシーの歩行速度なんて陸ガメとどっこいどっこいなのにさあ、そんな奴らから逃げ回るアクションシーンなんて作って本当に何がしたいの?って正気を疑うレベル。

 

サイホーン

悪い怪盗たちに襲われてピンチ!!そんなとき主人公たちの目に飛び込んできたのはサイホーン牧場。サイホーンレーサーとしての素質が抜群のセレナはサイホーンディアンシーを乗せて遠くまで逃げることができました。

ってなんでやねん!!あまりにも都合よく登場するサイホーン牧場に噴き出しました。