アニメとかの感想書留

Twitter「@kanso_na_kansou」https://twitter.com/kanso_na_kansou カテゴリー一覧http://animekanso.hatenablog.com/entry/2016/04/07/124605

つれづれに芸能ニュース感想

 最近、という程今に始まったことではないけど、ネットとメディアについて思うことをちょっとばかしまとめてみようかな、と思う。

 

 今回話題に出そうと思うのは、嘘っぱちの夏目三久の妊娠報道。

 

 う~ん、これ、割と真面目に新聞社(日刊スポーツ)内部で何が起きたんだろう。だって、妊娠報道の嘘なんて、数ヶ月して夏目さんのお腹が大きくならなければ確実にバレるのに。多分なんだけど、ライターさん、情報を提供してくれた人に騙されちゃったのかね。記事が出回り始めた頃だと「確認は取れてないけど、確かな情報筋から聞いた」って話だったし。まあ、あの記事が出回るまでに何が起きたのかは神のみぞ知ることなんでしょうけど、巻き込まれた夏目さんと有吉さんの立場からすれば堪ったもんじゃないですよね。イメージ戦略が生命線と言ってもいい芸能界、こんな無責任な発言で仕事が削られたとか言ってら、本人たちからすれば冗談じゃないって話だと思います。

 しっかし何というか…メディアの関係者たちって、「芸能人なんだから仕方ねーだろ」「それも込みでテメェらは仕事やってんじゃねーのかよ」って思ってんだろうかねぇ。まあ確かに、一理あります。でも、それって他人が言うことなの?ってところでそもそも疑問。

 芸能ニュースに限らないことなんだけどさ、新聞ってモラルとルールの違いが分かってないよね。簡単に言うと、モラルは自主規制でルールは外部規制なのね。これは個人的な考えなんだけど、ルールは秩序を守るために必要性から生まれたことだし、モラルは思いやりから生じることなのね。新聞社に限らないけど、メディアって自分たちの仲間内で勝手にやっていいことと悪いことの線引きを設けているときがあるけど、その基準ってそもそも何のために設けているのか考えたことあるのかな。メディアの世界で競争があるとすれば、他の会社やら同期の記者よりもスクープを得ようとして過激な取材を行うっていことなんだろうけど、あんまりにも過激にしてしまうと巻き込まれた人に迷惑をかけるばかりじゃなくて、メディアに対する信頼度も薄れてしまうから超えてはいけない一定のラインを設けているんじゃないかと思うの。いくら基準に反していないからってあからさまに他人に迷惑しか掛けないような報道をしちゃったら、本末転倒だと思う。

 夏目さんの記事を書いたライターさん、スクープだと思って舞い上がっちゃったんだろうね。多分おそらくなんだけど、やっぱり陥れられたんだと思いますよ。じゃないと、自分に不利益にしかならない記事書かないでしょう。「記者なんだから裏付けの取れた取材しろ」って怒る人もいて当然だとは思うけど、こういう間違いって誰にでも起こることだし、まあちょっとかわいいとも思ってしまうんだよね。

 それよりも、私が許せないのは、それに乗っかっちゃった他のライターさんたち。裏付けは取れてないけど確かな情報?メディア慣れしてない一般人が騙されるならとにかく、仮にもその業界で働く人間だったら、こんなどう考えても胡散臭い記事、少しは疑いなさいよ。こんな大物芸能人が揃っておきながらスキャンダラスな写真一枚無い時点で、おかしいと思いなさいよ。馬鹿じゃねーの。

 まあ、私がネットでよく目にしてたのはアサヒ芸能だけど…まあなんでしょうね、「それは夏目さんの事では?」とか有吉さんの記事に一々書いていて非常に不愉快だった。本当に騙されて舞い上がっちゃってそんな記事書いたのか、それとも煽り文句で分かっててそういうこと書いたのかは分からないけど、いずれにしても不愉快。

 前者の方で不愉快に感じるのは、やっていることがネットと変わらないからなんだよね。つまり、責任を全く感じないんだよね。自分が争いの源の情報の発信源じゃないから何をやってもいい、って心理が丸見え。こうして報道が事実無根の嘘だったって真実が明るみに出たとしても、日刊スポーツが悪いって言えばそれまでだもんね。

 まあ、ネット民が祭りに乗っかってあれやこれやと騒ぐことに対してはそこまで憤りは感じませんよ。ネットって、良くも悪くも、人間の卑怯な心理を満足させちゃうシステムが整っているからね。そこでネット民に怒るのは、自然の摂理に怒っているようなものかななんて思います。こう書くとネットって卑しいものみたいに感じるかもしれないけど、現実問題から生じる鬱憤みたいなもののはけ口っていう意味では、程度を守れば良いツールだと思う。

 でも、大手のメディアがそういうことをするのはやっぱりダメだと思う。安全圏に閉じこもって誰かをボコボコニするのは気持ちいいだろうなとは思うけど、気持ち良いのは書いている本人たちだけね。読者はそういうの求めてないから。

 後者の方、つまり煽りで記事を書いていたとしても、同じ理由で嫌なんだよね。業界内で勝手に内輪で盛り上がっている様子とか、「お前らこういうのが好きなんだろ?」って鼻で笑ったような挑戦的な態度とかに、スゴく読者との温度差を感じる。

 読者は、というよりは私は、あんまり記事の内容に社風なり個人的な考えを交えないで欲しい。最初から黒だの白だの決めつけないで、色んな人に発言のチャンスを与えた取材をして欲しい。そんなこと言っても、取材する各々の現実把握能力に因るから、中立を本人たちは保っているつもりでも先入観バリバリの記事になってしまうのも仕方ないところではあると思うから難しいところ。これは特に、曽野綾子さんのアパルトヘイト問題のときに思ったことなのね。曽野綾子さんの書いたコラム自体は、少なくとも私が読んだ限りではアパルトヘイトのアの字も感じるような内容じゃなかった。曽野さんのエッセイとかを読んでも、アパルトヘイトを推進しているような内容は私は思いつかない。曽野さんが語っているのは、別の民族との交流がいかに難しいことなのかって問題なのね。それをどこかの頭でっかちがアパルトヘイトだって解釈したのを真に受けて、あたかも「曽野綾子アパルトヘイトを推進した」っていう事実があるかのように思い込んでしまった人が多いと思うのね。でも、火種が大きくなるっていうことは、本当の火種の素である「曽野綾子アパルトヘイトを推進した」っていう解釈が広まるっていうこととイコールなわけでしょう。そうなると、周りは「曽野綾子」「アパルトヘイト」ばっかり言うから、もう人間そういう目線でしか記事を見れなくなるのね。一種の集団催眠だよね。騒ぎ立てている人間は、周りに「曽野綾子」「アパルトヘイト」って騒ぎ立てる人間がいる状況ありきで騒ぎ立てているから、自分たちのコミュニティの中で勝手に盛り上がって燃え上っていても、気付きようがないのね。記者さんっていうのは当然周りが記者さんだらけだから、そういう状況を特に作ってしまいやすいのね。

 言うまでも無いけど、偏見が無い人間なんていないのね。記者さんと言えども、人間の性に逆らえ何て、人類が達成しえない壮大な目標を強制するのは酷だと思う。でも、もうちょっと神経質になってもいいかな~とは、夏目さんの事件とか起きると思うわけ。中立なのと、自分が中立だと思い込んでいるのとでは本質的に違うからね。人って、自分が中立だと思った瞬間に反省するのをやめるから、中立から最も遠くなってしまうから。

 新聞離れが嘆かれる昨今。ネットが新聞に替わるツールになったからとかとも言われているけど、もし、新聞をネットに替われないツールまで昇華したいなら、ここのプロ意識の差って重要になって来ると思う。だって、分かりやすく読者が求めていることじゃない?

 まあそもそも、今日の新聞社は商売が下手過ぎるって問題もあるので、コンテンツの充実が売り上げUPに繋がるかと言ったら微妙ではあるけれども…街角インタビューのような似非世間調査みたいなネットでいくらでも替われることをいつまでも慣習だからって続けてないで、ちゃんと読者に求められていることっていうのを意識して欲しい。社の生き残りをかけていずれ必ず問題になることではあると思う。

 

※ちなみにアサヒ芸能は週刊誌。新聞社じゃないよ。

きまぐれにアプモン感想 1~8話まで

 アプリがコンセプトのデジモン。そう聞くと、いくつもシリーズがあって歴史あるデジモンのアニメにしては目新しいことを始めたように思えるような気もしなくもないけど、デジモンって毎回ガラリと作風を変えるので別に驚くことでもないっていう。

 しかし意外と今回のデジモンは今までのシリーズと比べて新しいかも、と思ったのは、モンスターのスケールがこぢんまりしているところかな。今作に登場するデジモンは、ポケモンとたまごっちの中間くらいのイメージ。デジモンって攻撃的、というよりは破壊的な生き物なイメージだったので、個人的にはかなり新鮮に感じたかな。

 正直1話を観た時点では…不安しか感じなかったりした。1話の内容は、あんまり目立つタイプでは無いことをコンプレックスに感じている新海ハルが、自分が憧れる物語の主人公のような存在に一歩踏み出して挑戦できるかどうか、という話。しかしこの話、「戦いの中で一歩踏み出せるか」っていう主人公の葛藤の解決方法が「アプリドライブにチップをセットする」というなんともNOリスクHIGHリターンなことに掛っているので、見ている側としては「はよせい!!」って思うだけの微妙な展開に。しかも主人公のデジモンの能力がまた微妙で、その内容と言うのは『検索』。パッとしない上に、イマイチどういう能力か分からないっていう…

 しかも、このハルの主人公問題、結構中々重要であるかのような描写だったにも関わらず、2話(?)からは殆ど忘れられていて…その上、パートナーのデジモン、ガッチモンとの友情物語が描かれる4話も、ハルがガッチモンをないがしろにする理由がイマイチ語られないから、その後の「ガッチモンはいつの間にか大きな存在になっていたんだ」って話しもちょっとピンと来ない内容になっていたかな。

 しかも、その直後のタイミングで現れた2人目のアプリドライバー、花嵐エリもまっとうなのか変なのか描写が曖昧で、早くも空気キャラの匂いがプンプンするという…。

 ダメだこりゃ。そう直感したものの、やはり1話だけで決めつけるのもいけないかなと思って取りあえず1クールは視聴継続してみることに。

 で、そのタイミングで登場したのが飛鳥虎二郎というメイン新キャラ。「ノレる?ノレない?超ノレるっ!」というのが口癖の黄色い小学生Youtuber。エリさんみたいに病気のように口癖を連呼する虎二郎君を初めて観たときはこりゃダメだって思ったんだけど…意外にも良い話だった。

 陽気なノリで見た目アホっぽいキャラな虎二郎君なんだけど、昔は今とは真逆で、聞き分けの良い大人しい子供だったっていう話。友達からYoutuberの存在を教えて貰って、ちょうどそのタイミングでミュージモンと出会って、はっちゃけた新しい自分の一面を発見するっていうお話。ギャップの描き方にグッと迫るモノがあって、虎二郎ってキャラの心を感じたかな。あと、虎二郎とミュージモンのちょっと奇妙な友情にも迫るモノがあったのもGOOD。人って付き合う相手によって自分でも意外な色んな一面を見せたりするので、ミュージモンは虎二郎にとって気負う必要のなく子供っぽい一面をさらけ出せる友達なのかなって思ったりもした。

 こんなこと書いておきながら言うのもなんなんだけど、個人的にはあんまり「子供っぽい」って言葉が好きじゃなかったりする。自分の幼少時代を思い出すと…ちょっとませたところがある子供だったから、「子供は子供らしく」っていう意見を耳にすると、子供っぽく振る舞うことがその子にとって不自然な場合だってあるじゃん、って反論したくなるんだよね。でも、虎二郎とミュージモンのように、誰かに強制されたわけでもなく、シナリオの都合的に不自然な力が働いた結果じゃなくて、自然と子供らしい一面を見せられる関係っていうのはちょっと良いな、って観ていて思ったりした。

 で、次の週も続いて虎二郎メイン回だったんだけど、その週もまたいい話だなって思った。虎二郎君はYoutuberの中でも有名で人気なんだけど、デジモンの悪戯で動画のイイネの数が激減してしまうっていうのが事の発端。そして虎二郎に替わって人気急上昇の新手Youtuberに対抗意識を燃やして、イイネの数を稼ぐために手段を選ばなくなっていくんだけど、ミュージモンと最初に動画を上げたときの初心を思い出す、というお話。

 ちくわをストロー代わりに使う動画は面白くて、オナラで音楽を歌うのは倫理的にアウトって周りの人間のリアクションとかよく分からなかったりしたけど、前回チラッと触れられた虎二郎とミュージモンの関係をさらに掘り下げられていてこの回もかなり好き。昔はイイネなんて全然貰えなかったけど、動画を投稿し始めた頃の高揚感とか、ミュージモンと動画を作り上げる工程が楽しかったんだ!!って初心を思い出す展開は、ミュージモンとの友情が描かれていることもそうだし、妙にリアリティがあるところも好きなんだけど、「ノレる?ノレない?超ノレるっ!」って口癖に「自分の正直な気持ちと向き合って好きなことを見つけよう」っていう虎二郎の気持ちの裏付けされる結果になっているところも好きかな~。

 虎二郎メインの2話が良かったからといって、これまでの話で感じた不安が完全に払拭されたわけでもないんだけど、作品全体の印象としては一気にプラスに傾いてしまった。さて、今週はどんな内容だったのかなと珍しくちょっとワクワクした気持ちで録画を開こうかな。

 

次回次々回

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ひっそりとポケモンサン&ムーン感想

 始まる前から不穏な影をチラホラと垣間見せていたアニメ版ポケットモンスター サン&ムーン。先週の11月17日、ついに初放送となりました。結論から言うと…具体的に何がダメと言い切れるレベルまでは達していないけど、今後の展開をどうするんだろうという計画性のおぼつかない部分をちょっと感じました。

 まず最初に触れておきたい不安要素は、サトシの旅の目的意識の薄さ、かな。えーっと、今回のポケモン、従来のジム戦システムが廃止されました。そして代わりに導入されたのが島めぐりという試練。この二つ、どう違うのかというと…従来のジム戦はポケモンリーグという大きな大会に出場するための関所だったんですけど、今回の島めぐりはZ技を習得するための関所なんですね。一見すると「Z技を習得する」という最終目標が定まっているように思えますけど、Z技を使って何をするのかというところが骨抜きなんですよ。サトシは相変わらず「ポケモンマスターを目指している」って言ってましたけど、そもそもポケモンマスターが何なのかって設定がいい加減明かされていないので、「Z技の習得」との関連がよく分からないことになっています。ゲームの設定だとアローラ地方にはポケモンリーグは存在しないと断言されているみたいなんですけど、技というものは活用する舞台があってこそ磨く物。

 今後の冒険で「どうしてZ技を習得したいの?」って質問はいつか必ずサトシにされることになると思いますけど、きっと彼は「強くなりたいんだ」と答えるでしょうね。言ってしまえばこの台詞、ダメな少年漫画にありがちです。具体的なようで、抽象的です。具体的な目標を与えられていないから、具体的な答えの示しようが無いんですよ。

今までも「強くなりたい」って便利な台詞が流用されてきたことは幾度となくありましたが…ポケモンリーグに優勝したいという前提があるなしではやはりちょっと重みは違ってくるかな、と思います。現状だとちょっと宙ぶらりんな設定が多くてフワフワしている感じですね。

 宙ぶらりんと言えば…サトシのリセット具合も歯切れが悪い感じがしました。「ケンタロスには慣れてるから」と過去作品の記憶を引き継ぐ描写をしておきながら、サトシの性格そのものを改変させたりピカチュウを弱体化させるところに確かな歪さを感じました。少なくとも、リーグ準優勝入りを果たした少年にスクールライフをさせる中で誰が何を教えるかってことに関して、なんにも考えて無さそうなのは十分伝わったぜ。BW以降、サトシとピカチュウのリニューアルに関してはもう製作者の方も開き直ってはいるんでしょうけど、過去作品の扱い方の雑さはちょっとあのBW時代と共通する何かを感じて不安要素です。

 さて、目的意識の薄さ、過去作品の扱い方の雑さと二つの不安要素を書き連ねましたけど、実は一番不安を感じるところは別のところにあったりします。ズバリ言ってしまうとそれは…ドラマを生み出すようなキャラクターが一人もいないってことですかね。

 今回の旅、アローラ地方の冒険はサトシがホームステイをするという長期旅行の形をとり、今までの冒険とは違う形式になるんですね。従来の冒険型のお話では、固定された主要メンバーから事件に入り込んでいく、サン&ムーンみたいに拠点が決められてしまっている場合は、既存の状況の中に事件が舞い込んでくるっていう形になるのが普通だと思います。つまり、前者はその都度新しい舞台を用意することができるんですけど、後者はシリーズを通して一貫した舞台が用意されていないとシナリオが展開しにくいんですね。もし今後、スクールライフを中心に物語を展開したいなら、既存の人間関係や、キャラクターの役割といったものを明確に用意してあげないと本当にキツい。1話では今後お話に関わっていくであろう5人の少年少女たちが紹介されていて、それぞれ熱血漢だったり嫌味っぽい雰囲気を醸し出していたり、理知的だったり臆病だったりというキャラクター付けはされていましたが、立ち回りというものが意識されいるかというと…シトロンという前例があるだけにけっこう中々不安ではありました。

 まあしかし、まだ1話の段階で、あんまり決めつけてしまうのはよくありません。喋るロトム図鑑とか爆弾要素はまだ投下されていないでコレっていうのはやはり不安ですが…あたたか~く見守って行こうと思います。

ひっそりと感想~最強の二人!シトロンとデント!!

先週終わりだとばかり思っていたxy&z編だけど、今日はもう一つおまけがあったらしい。そして今日の話は前回のように本編の補完という位置付けではなく、完全な番外編、おまけのエピソード。その内容もズバリ、シトロンとデントのコラボ!!

 

 

 

 

デント

 

 

 

 

 

 

デント!!

 

 

 

 

破壊力のデカい名前だぜ!

まあこの名前が出て来た時点で言うまでも無く眠くなる内容なんだろうなと思っていたんですけど、それが意外と超面白かった。え?具体的にどこが面白かったかって?…ムフフ。

 

今日は、セーラームーンcrystalの感想を書いていたときと同じ形式で、この魅力を表現したいという目論見。

 

あらすじ&感想

 サトシとの旅を終えてジムリーダーとして忙しい毎日を送っているシトロンは、休日の今日、息抜きに地元の釣り大会に参加しているみたい。

 

 という説明が冒頭に入るんだけど、なんなんだろうこの不安。

この釣り大会でデントとシトロンが出逢うんだろうなと容易に予想ができる展開。こういう分かりやすくキャラクターが活躍できる舞台を用意してシナリオを展開する、っていうのが悪い手法だとかそういうことは私は一切思わないけど、そこにデントという一文字を加えるだけで心にさざ波立つこの感じ!

 

案の定、科学の力で釣り大会を攻略しようとするシトロン。そこに登場したのは皆大好きエデントさん。「こんなのは釣りじゃない」とか「何でもかんでも機械任せにするのは反対」とか、いきなり初対面のシトロンに向かって喧嘩を売りまくります。

 

 そうだ。そうだった。BWのキャラクターって、無駄に喧嘩を吹っ掛けまくる印象の悪い奴が多いんだった。お土地柄?笑 っていうかこの人、カロス地方を観光するために旅をしているみたいだけど、行く先々でこんな無用な小競り合いを起こしているんだろうか…

 いやあまあ、それにしても久々に見たけどやっぱり安定してウザい!!喧嘩、釣りのレクチャー、自己紹介とマグロのような勢いでずーーーっと喋っているデントさんなんですけど、なんだろう、台詞が多いのにキャラが定まっていないこの感じ笑 終いにはシトロンとユリーカも変な奴として認識し、大人な対応で会話を交わされる始末だし。物語の中のシトロンたちも、そして多分お話を作る人たちにとっても、他の扱い方が思いつかなかったんでしょうね。

 ちょっと真面目話。前々から思っていたんですけど、デントって明らかに主要人物向けのキャラクターじゃないよね。確かに賑やかなキャラクターは一見すると特徴的なように思えますけど、内面的な変化が描かれず表面的な記号だけでゴリ押しするキャラクターは却ってメインに立つと空気になってしまいます。デントはクレヨンしんちゃんで、変人奇人の類で一度限りのゲストキャラとして出演した方がよっぽど輝けると思う。アレが毎週毎週画面の中に登場して意味も無く騒ぎ立てるBWって、やっぱり恐ろしいわ。

キャラづくりをいい加減に考えていると後々につけが回ってしまう、という良い例でした。

 

 まあそんなこんなで釣りの大会も終了。デントもシトロンもユリーカも釣れずに終了

 

 結構疑問に思っていたんだけど…ポケモンの世界の「釣り」ってどうなっているんだろう。なんか、本当に私たちの世界で釣りをしている感覚でみんなポケモン釣りをしているんですけど、「ポケモンは人間の友達」という主張を貫くこの世界でポケモンの釣りというのはあまりにも不釣り合いな光景です。釣りなだけに。

 

 で、プリズムタワーを観光しに来ていたデントを案内するために、一同は地下鉄を使って移動することに。でも、なんか無人の電車が暴走してユリーカを連れ去ってしまいました。

 

 デントは釣りソムリエであり、タワーソムリエであり、メトロソムリエであるらしい。つまり、物知りさんということ。でも、シトロンがジムリーダーということは知らなかった模様。デントさん、本職がジムリーダーなのに大丈夫か・・・?

  まあ細かい突込みはさておいてお話の続きを。

 

 暴走した電車はたくさんあるみたいで、天才エンジニアのシトロンの尽力でシステムはあっという間に復旧。でも、ユリーカの乗っている電車だけは止まらずに…

 

 正直ここに内容は無いので、飛ばして構わないです。しかし次のシーンからだんだんとアレ?という展開が続いてきます。

 

 ユリーカの電車がめでたく止まったんだけど、動くことはできないみたいです。そこで、ユリーカを迎えに行くためにシトロンとデントはトロッコに乗りました。

 

 もう突っ込みませんよ。

 

 メトロソムリエのデントは路線図を完全に暗記しているようで、彼のナビゲートに従ってユリーカを迎えに行きました。しかし、ようやくユリーカと会えたと思ったら、電車が動き出してしまい…しかも電車が向かっている先は行き止まり。大ピンチです。

 

 シトロンとデントの尽力によりユリーカは電車から脱出できました。

 

 そしてユリーカを下した電車は行き止まりにぶつかり大爆発…ということにはならずに、エアーバックにより安全停止しました。

 

 こ、これ、電車の安全機能が健全に機能しているってことだし、別にシトロンとデント、何もしなくてよかったよね。むしろ、電車から飛び降りさせるっていう引田天功もビックリな危険な脱出劇を巻き起こしているわけで…

 っていうか、電車を外側から止めることができるエアーバックって笑 っていうかあのエアーバックどこから出て来たんだろう。見返してみてもイマイチわからない。超科学の世界なのかも。

 

 ユリーカは救出されたわけですけど、どうして電車が暴走を始めたのかという部分は謎に包まれています。そこで、デントのナイスな推理で、シビルドンが元凶だったことが明かされました。ユリーカのデデンネが触媒になってなんかいろいろやってくれたお蔭で、万事解決しました

 

 (シビルドン、テレビに出れてよかったね)

 

 シビルドンも無事海に帰ることができ、デントとシトロンの別れの時がやってきました。今回の一件を通して、デントもシトロンもサトシのことを思い出したようです。

「諦めそうになっても根性で前へ前へと突き進む友達をね」と言うデント。

「いつか会ってみたいです、その人に」と返すシトロン

「きっと会えるさ、君たちならね」とデント

 お互いの言う最高の友達がサトシのを指していることには気付かずに、三人は別れてしまうのでした。

 

 なんかサトシが伝説のポケモンみたいな扱いになっていて笑った。

 

 

 ってな感じで今度こそ最終回、なはず。

 一つ注意しておきたいのは、この記事内でデントのことをディスりまくりましたけど、シトロンも大概の空気キャラです。しかし空気キャラのシトロンをわざわざ番外編に引っ張ってきたのは…デントとアイリスを天秤にかけた結果かな?笑

 まあけど、正直あんまりいい気持ちはしない。アニポケは前シーズンの歴代ヒロインが登場するっていう恒例行事があるんですけど、キャラが嫌いって理由で登場させなかったんならこんな悲しいことも無いでしょう。無理矢理登場させて妙な仕打ちをするよりはよかったのかもしれないけど。

 

 久々のデントさんの登場で改めて思ったことなんですけど…ポケモンみたいな一年、二年シリーズって、主要人物の持ち場の作り方はちゃんと計算しておかないと、八方ふさがりの状態に陥るんですね。xy&zはそこまで計算してキャラ設計をしていたかというと、グレーゾーンなところも目立ちような気はするんですけど、八方ふさがりにはならなかったかなとは思います。結果オーライってことで。

 新編のサン&ムーン、どうなるんでしょうね。人間の言葉を喋るロトム。う~ん。考えるまでも無く地雷設定だと思いますけど。どうなるんだろうか…

 

XYZの伝説~ごめんねディアンシー

 11月03日のポケモンXYZは「XYZの伝説」ということで、その副題の通りカロス地方に伝わる伝説の紹介になりました。基本的には、昔、ゼルネアスイベルタル、そしてジガルデに出逢ったことのある青年の話を通して、三体の伝説のポケモンがどういった存在なのかを解き明かす内容になっていました。ただ、“基本的には”と書いた通り、現代のカロスの人々の認識など青年の視点から語れないものや、言葉による直接的な解説が必要な場合は、カロスの伝説を解き明かすプラターヌ博士の考えという形でナレーションによる説明が入りました。

 具体的に今回の内容を説明すると、昔々、恋仲だった青年ジャンと少女アイラがいました。しかし、破壊ポケモンイベルタルの永久を受けてアイラの方は石化。ジャンはアイラをよみがえらせることのできる、イベルタルの対となるポケモンゼルネアスを探して旅に出ます。月日は流れ、ジャンはおじさんになってしまうのですが、旅先でついにゼルネアスを見つけることができました。しかし、そのときゼルネアスは樹に姿を変えており、そんな無抵抗なゼルネアスを王様っぽい人たちがなぜか燃やし始めます(←あからさまに百害あって一利なしのことなのに、なぜ王様たちがこんな行動に及んだのかは本当に謎です。イベルタルを攻撃するならとにかく)。しかし、そこでジャンは止めようと入るのですが捕まってしまい、殺されそうに。そんなところに現われたのは、見たこともない巨大ポケモンジガルデ)でした。ジガルデゼルネアスを痛めつけた人間たちを一掃し、ゼルネアスは樹から本来の形に戻りました。ジャンはゼルネアスにアイラを助けてほしいとお願いするのですが、ゼルネアスは無視して立ち去ってしまいました(…なぜ?)。

 ゼルネアスに関しては諦めてしまったジャン。そんな彼は、かつてアイラたちと一緒に暮らし、そしてイベルタルに枯らされてしまった大地を再び豊かな土地へと戻すため、残りの生涯を費やします。しかし、一次は順調だった復興作業も、ある年の干ばつでダメになってしまいそうになります。そこに、再び青年の目の前にゼルネアスが現われました。ゼルネアスは不思議な力でみるみるうちに枯れた大地を緑豊かな土地へと変化させるのですが、アイラが蘇ることはありませんでした(…なぜ?)

歳を取って白髪頭のお爺さんになってしまったジャン。彼はアイラ像の隣で、穏やかな最期を迎えるのでした、という話。

 ここで今回の話をみた今回の私の感想は…実は嫌いじゃない。しかしお話として完成度高いかということや、あるいは、本編で登場した伝説のポケモンジガルデについて語りきれなかった設定の補足をしようという試みが成功したかということをまじまじと考えてみると…XYZらしく色々とすっ飛ばした展開になっていたり、設定面でもちょっと甘さが目立ってしまう内容にはなっていたと思います。

 しかし最終的に好きに落ち着いたのは…命の循環と秩序という無常観を匂わせる背景と、ジャンの生涯のもの悲しさがマッチしていたから、かな。アイラはそもそも、イベルタルからジャンを守って石化してしまうんですけど、ジャンの後悔みたいなものに触れられていたらもっと好きになったかも。

 

 そんな感じで、XYZ編はこれにて終了。次週からはサン&ムーンが開始します。ポケモン図鑑に入り込んで人間の言葉を喋るロトムが登場するらしいんですけど、これを聞いてサン&ムーン編は地雷だなと早くも思っております。主人公のすぐ近くにポケモンと人間の通訳がいるというのはちょっと…「そもそもポケモンって何だ?」って話になって来るじゃん?まあそれはまた今度。

 最終回記念に色々とため込んだフラストレーションをはてブで吐き出そうと思ったけど、意外と好きになれちゃった内容だったのでガスが抜けたというか、まあそんな感じです。そして、あと、ちょっとディアンシーの映画を悪く言いすぎたなと反省したんですよね。

 というのも今回の話で、XYZ(←ゼルネアスイベルタルジガルデのフォルムを表した記号で、アルファベットではないらしい。はっきりとそう言葉で説明があったけど、ポケモンの世界ではっきりとアルファベットというものの存在が示されたのは意外だった)の伝説の設定を知って、ちょっとアレを元にお話を作るのは無理かなって思ったんですよね。

 というのも、映画のお話を作る上での縛りがちょっとキツすぎると思ったんですよね。今回は番外編で、サトシたちの旅と関係のない昔話ということでちょっと暗めのお話の展開もできてましたけど、本編の方ではキャラクターの生き様のような微妙なラインの話を嫌う傾向がありますし。ディアンシーの映画は、オトボケキャラのディアンシーに対して無条件に優しくウフフオホホ気持ち悪いガールズトークを繰り返す無味乾燥な会話が友情の証みたいに描かれていますけど、これは作品全体が目指していた大きな方向性の表れだったのかもしれないですね。臭い物には極力蓋をして、雰囲気で楽しそうに盛り上げるっていう方向性。私なりにこの作品を最後まで追って見続けた結果思ったことなので、根拠は特に無いんですけど、確信はしています。

 そんな作風の中に、生命の循環なんていう哲学的な命題を背景に据えた設定をブッ込めと言われたら…私にはちょっと無理かなって思います。思いました。ディアンシーの映画のイベルタルが、ピクミンのドドロみたいって例えましたけど、むしろドドロポジションに落ち着いていただけましだったのかも、と思います。ゼルネアスならとにかく、イベルタルがお話の中心に食い込むようなことがあれば、グチャグチャになることは間違いありませんから。

 ディアンシーの映画に関しては、「やる気ねーなら映画作るな!!」…とまでは言いませんけど、そういう想いを抱えて散々文句を言ってきましたけど、今回の最終回番外編である程度思い切った内容をしていたことを受けて、映画版の製作に関しては個人の力量では変えがたい大きな流れというか、現場の常識があったんだろうなと思いました。

 まあそれでもやっぱりクソはクソだと思いますけど、その理由に関してあんまり決めつけすぎてもいけないな、と思いました。

『サトシとラストバトル!セレナの選択』 感想

 今日はアニポケの感想。と言っても今日放送分の内容についてじゃなくて、主に先週の内容について。結論としては先週の内容はスゴくよかったってことに落ち着くんですけど、その前にポケモンXY編について思い入れを語ろうかな。いいきっかけなのでね。

 

 私はアニポケのXY編は途中から観始めたんですね。というのは、長年アニポケを追い続けている方はご察しがつくと思うのですが、BWの時代を経てアニポケに対しての期待が限りなくゼロに近付いたからです。主人公なのに完全空気キャラのサトシ、「子供ね~」と取り敢えず言わせられるだけのアイリスに、「テイスト」「テイスト」ってマスコットキャラの語尾のようにしつこく繰り返す以外に特徴らしい特徴が描かれないデント、シリアス路線とギャグ路線の狭間を渡り歩く情緒不安定のロケット弾など…BWがヒドいとはよく言われていること(?)だとは思うんですけど、具体的にその事例を語り始めたら枚挙に暇がありません。

 私はアニメ、というかドラマ全般を鑑賞するときは、キャラクターに対してどれほど真摯に向き合っているのかっていうところに重点を置いてみるんですね。人それぞれに物語の楽しみ方があるので、「キャラクターの心情なんてどうでもいいんだ、設定の壮大さが物語の醍醐味なんだ」って考える人が居ても私は全然OKです。お話として連続性の無いその場しのぎの一発ネタで人気を稼ごう、ってノリのアニメがあってもいいと思います。でもね、物事には最低ラインってものがあるんだよ!!

 私はできれば、キャラクターの心理描写とかにはこだわってほしいと思っているんですけど…まあそこに重点を置かないにしても、最低限キャラクターの特色や役割が示されていないと、本当に観ていて辛いです。出来の悪いアニメを観ていて感じる「辛い」という感情にも憤りとか興ざめとか色々な種類がありますけど、BW編については「退屈で視聴するのが苦痛」という意味で辛かったです。一度観始めたアニメなので最後まで完走はしよう、最後まで観ないと得られない結論があるかもしれない、そう思い修行のように追っていた時期もありましたが、心が折れてしまいました。

 そんな経緯を経てXY編の放送が開始しました。ネットでチラホラ「ストーリーが凝っている」と噂を聞いていたのですが、比較論法でまともに見えるだけでどうせ見るだけ時間を浪費するんだろうな、と観る前から半ば諦めていたんですね。そんなときにちょっとした機械があってディアンシーの映画を鑑賞したんですけど、これもまた酷い内容。ただひたすらに物語として退屈で、映画館で、おそらくポケモンを受け取るために映画券を買ったのであろう小学生が「あー、やっと終わった!!」ってため息交じりに行っていたのが本編よりも印象的でした。

 ディアンシーの映画は、私の心の片隅に残っていたポケモン熱を完全に冷ます結果となりました。

 しかし、放送時間が個人的なライフサイクルに噛合っていたこともあって、結局はアニメ本編の方はこの映画を機に視聴してみることにしたんですね。勿論、何も期待はしていなかったけど。しかし、DPも映画は酷いけどアニメ本編は好きだったし、決めつけることはよくないなって思ったんですよね。帰宅してきたばかりの時間帯でニュース番組を見るのもかったるいし、適度なリラックス材料として観てみるのも悪くないかなって思いました。悪い言い方をすると「頭を使わない(ように割り切って鑑賞しようと思う)アニメ」なんですけど。

 結論から言うと、あくまでもBWと比べてのことだけど、良くなったと思いました。BWと違って、一話完結のお話の起承転結の定型文は完成されていたので、ストレスが溜まることはありませんでした。映画もズルズルと惰性で他二編も鑑賞してしまいましたけど、ディアンシーの映画は特別に酷かっただけで、それぞれ気合いを入れているところがあって楽しめたかな。フーパの映画は伝説のポケモン祭りをしようって意気込みを感じられたし、マギアナも頑張って感動物語を作ろうって気持ちは伝わって来た。この二つの映画は、全く別方面から攻めたのも好印象だったかな。毎年馬鹿の一つ覚えみたいに同じことやられてもなぁとは常々思っていたので。あ、毎年同じような雰囲気のお話を作るのが悪いって言っているわけじゃないですよ。ポケモン映画らしい持ち味っていうのが確立されているならば、そこは譲らずに毎年引き継ぐのも一手だと思います。けど、アニポケってどの時代も方向性が見えてない手探りの状態で作っているみたいなところがあるので、どうせなら思い切って挑戦してほしいなと。

 一方、アニメ本編の方は…ダメダメっすね。まあ、何が一番ダメだったかというと…やはり個人的にはサトシがリーグで敗退したことでしょうか。え?サトシをリーグ優勝させたら続編を作れないから仕方ないって…?

 

 ホントに?

 

 まあ毎シーズン疑問には感じていたんですけど、そもそもポケモンリーグって優勝してどんな良いことがあるんでしょうかね?サトシはポケモンマスターになるって夢がありますけど、リーグ優勝者=ポケモンマスターなのかって部分はかなりぼかされていますし。ポケモンコンテストやポケモンパフォーマンスのように、その大会に優勝することがある業界に入るための登竜門になっている、というならリーグ優勝することにも意味が見いだせるんですけど、歴代のリーグ優勝者はトロフィーを受け取った以降の活躍が描かれていないため、そこら辺の事情もかなりあやふやになっています。

 ここで、そんな疑問に終止符を打ってくれたのがアラン選手でした。アランはサトシに打ち勝って優勝し、彼の目指していた「最強になる」夢を果たしました。そんな彼に待っていた未来は…旅に出る前に手伝っていたポケモン研究所に戻ること。つまり、ポケモンリーグに優勝しても、彼の日常には何の変化も訪れなかったことになります。

 だったらサトシを優勝させてやれよ。

 っていうかサトシゲッコウガってなんだったんだよ。何のために登場させたんだよ。「二人が力を合わせることでどんな困難も乗り越えられる」みたいなこと言っておきながら負けさせてんじゃねーよ。っていうかアランがサトシのライバルみたいにいつの間にかなってたけど、アランってそもそも旅先でばったり出会う強いトレーナー以上でも以下でもなかったじゃねーか。短パンこぞうみたいな扱いをしておきながらライバルとか、わけわかんねーよ。っていうかサトシがアランに負け続けたのって、最終的にサトシに勝たせるための布石じゃなかったのかよ。ホント、今までの旅はなんだったんだよ…。

 サトシゲッコウガはこのアニメの闇です。

 散々「カロスの平和を守る」みたいな伏線が張られてれていたのに、そのカロスの危機も、サトシゲッコウガじゃないと救えない危機っていうわけじゃなかったし。ついでに言うと、「ロケット団がカロスを危機から守る重要な役割を果たす」っていうことも語られていたけど、TV中継でクライシスを中継することのどこがカロスの平和を守ることだって?まあ一応フレア団との戦闘はしていたけどさ…。またまたついでに言うと、シトロンとロボットの友情物語とか要らねーんだよ。降板させるために人格の宿ったロボットコロしてんじゃねーよ。っていうかポケモンなんだから、ポケモンとの友情物語を描けよ!!

 まあそんなこんなで、酷いです。ホント、酷いです。一番お話として売りにしていた部分が一番ヒドいです。

 しかし…キャラクターバランスは良いなって思ってしまったんですよね、カロス組って。ヒロインのセレナがバトルに関して全くダメダメ(←これもまたついでに言うとさ、カロスの危機編でフレア団の攻撃をテイルナーがかえんほうしゃで迎撃するんだけど、それをみていたマロンっていう女の子に「セレナ、スゴい!」って台詞言わすんですよ。夢を追いかける、バトルに関しては素人の女の子って描写を徹底しておきながら、ここでこういうアピールをする意味が分からない)。これも、バトルバカのサトシの良い引き立て役になっていたかな、とは思いました。シトロンもなんでもありなトロニックマシーンなるものをよく開発するんですけど、狂言回しというか、お話の中にいい変化球を与えてくれいたとは思います。

 まあ、「サトシの引き立て役」って書いた通り、見る人によってはセレナって役立たずなんですよね。前半で夢を見つけることが彼女のテーマになっていたので、戦力にもならない上に目的も無い、80%くらい空気キャラでした。ディアンシーの映画では、なんか突然サイホーン牧場が登場させる(←セレナはサイホーンレーサーとしての素質が抜群という設定があります。)ことくらいでしか役割を与えられないレベルの空気キャラです。しかし、要所要所の場面では丁寧な描写のあるキャラクターなんですよね。「ママの言う通りの進路を歩むのが嫌だ」っていう自分の気持ちに気付いた上で本当にやりたいことを見つける展開や、ちゃんと自分の気持ちをママに伝えて説得する展開も描かれていました。ただ他人に影響されて、きらびやかな世界に憧れて始めたポケモンパフォーマンスの世界だったけど、自分で「たくさんの人を楽しませたい」っていう新しい目標を見つける展開も、彼女の成長をよく表していたかなと思いました。

 ここで、ようやく本日の本題に入るのですが。

 先週の内容は、今までのセレナの集大成だったかなと思います。めちゃくちゃになった街の人たちに、「笑顔にさせたい」と言ってボランティアのポケモンパフォーマンスを企画するセレナは彼女の新しい目標を見せてくれましたし、(途中描写は無いけど)彼女が成長した証だと思います。娘のパフォーマンスをする姿を見てアクトレスとしての娘の成長を自慢に思うママだったけど、プラターヌ博士からセレナが企画したお祭りだということを教えて貰って、思っていた以上に成長していた娘の姿にビックリするところも、なんかいいなと思いました。しかしまだ頼りないところもあって、今後の進路という重大なことついてはママに頼って相談してしまうのも、良い信頼関係に築かれた親子関係だなと素直に思いました。「悩んでいるときはポケモンバトル」って言ってセレナを励ますサトシも、セレナの憧れの人として美味しい立ち位置だったと思います。セレナが、ポケモンパフォーマンスのお偉いさんのヤシオさんからの「一緒に来ない?」という誘いを断るシーンも、彼女の決意を表している良いシーンだなと思いました。「ホウエンに行ってポケモンコンテストを体験してみない」と提案し「今度私にパフォーマンスを見せて。私、あなたのファンなのよ」って励ますヤシオさんはいい先輩としてキャラが立っていたと思います。

 なんか、派手な演出も意表を突くような展開も全然ないんですけど、これまでのお話の流れを汲み取って一つ一つ丁寧に決着をつけてくれたので、私は本当に満足です。久しぶりに、アニメを観て心が温まるなと思いました。

 この記事内でも散々批判をしたポケモンXY編。まだまだ言い足りない批判もたくさんありますよ。しかし、一人でも好きになれるキャラクターができて、また、強烈に好きな話が一つ二つあったので、視聴し続けて良かったなと思いました。