アニメとかの感想書留

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小論文には起承転結は必要ないし、物語に論理性は必要ない。

久々の投稿。

今回は当たり前…だけど意外と勘違いしがちなことについて書こうと思います。その内容というのも、タイトルに書いてある通り、小論文に起承転結は必要ないっていう話です。

いきなりこんな話をしたのは、個人的な理由があります。先日、実家で私物の整理をしていたところ、中学高校くらいに書いた自分の小論文を見つけたんですね。そしてその小論文を読んで思った感想が…無理に起承転結に意見をまとめようとして意味が分からないことになっている!!
そしてふと思ったことがあります。小中高と「小論文は起承転結を作れ!!」って教えられて、私もそうだと思い込んで生きてきましたが、大学で論文を書いたときに起承転結なんて意識しないかったことに気付き、ふと疑問を抱きました。そこでちょっと考えてみて私の出した結論は、起承転結っていうのは物語に求められるスーリーであって、論文に求められるストーリーではないということ。

この問題のカギは、そもそも小論文(論文)と物語って何が違うの?っていうことであると私は考えます。

これは複数意見があって当然の問題であるとは思いますが、その一つとして、人間の主観が中心に物事を描くか、筆者が主張したいことを多くの人に納得させるために書くかの違いだと思います。
例えば「リンゴが落ちた」ことについて文章を書くとしたら…物語であれば、それを見てある人間がどう感じてどういうアクションに及んだのかということが問題になるのが物語で、対して論文の場合は、「万有引力が働いたからリンゴが落ちた」や「リンゴが腐りかけていたから落ちた」などの著者の主張とそれに対する裏付けが問題になります。

まあつまり、論文と物語は全くの別物っていうことです。

物語では、「ところが!!」と状況を一変させて登場人物に試練を課すことは読者を引き込む一つの確立された手法であるかもしれませんが、論文で問題になるのは筆者の主張が正しいかどうかなので、読者を引き込むこの手法はそもそも要らないのです。意外性という主観は論文には求められていないものね。

これを抽象化して言うと、それぞれに求められているストーリ性の違い、という話になるのかなと思います。

ここでその話をする前に一つ注意しておきます。ストーリーという言葉は物語の内容という意味で語られることが多い言葉ですが、今回は、誰かの意図に沿って選択された情報の塊と思ってください。

同じことを繰り返しますが、性質上、物語では登場人物の主観の変化に焦点を絞ったストーリーになり、論文では筆者の主張の裏付けに焦点を絞ったストーリーになります。その物語のストーリーを組み立てるための一つの類型が起承転結なのであって、それを論文に当てはめるのはナンセンス。ナンセンスなのです。