アニメとかの感想書留

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感想「ありがとう!また会う日まで」

先日「どれみと魔女をやめた魔女」の感想を書いたときに、最終回について色々思っていたことを思い出したので書き留めておきます。

 

おジャ魔女どれみの最終回は、どれみが卒業式をサボる話。登校する途中で、この三年間で積み重ねた何もかもがこの卒業式を機になくなってしまうことに気付いて逃げ出したんですね。で、引っ越しの準備をしているMAHO堂に逃げ込みました
魔女見習いの仲間やクラスメートたちは、「ま~たいつもの遅刻か」と思っていたんですけど、いつまで経ってもどれみが現れないので「あれ?」と思う。
そこに時間を止めて現れたのがマジョリカで、マジョリカはどれみが学校をサボっていることを魔女見習いの皆に教える。魔女界の女王様ことユキ先生は、この場は私に任せて、と言っておジャ魔女のみんなをどれみのもとへ向かわせる。
それからどれみの居るMAHO堂おジャ魔女の皆やクラスメートたちが駆け付けて、どれみが学校に来るように説得する、という話になります。

 

う~ん、多分ファンサービス的な話だと思います。四年間で登場したゲストキャラたちの出番をふんだんに使おうと思ったらこういう筋書きになるのかなと。

 

まあ、それとは別に、実は私、この話が結構中々苦手なんですよね。

 

というのも、「どれみが卒業式を休んでしまうのも、アリなのではないかな」と思ってしまうからです。

 

そもそも「どうして卒業式が必要なのか」っていう話になりますけど、ぶっちゃけ、エンターテインメントですよね。意義があると思っている人は、卒業式っていう思い出が欲しいだけです(多分)。
勉強も教えて貰わないわけだし、校長先生のありがたいお話も週一で聞いてるから別に改めて聞く必要も無いでしょう。卒業式でしかできないことがあるとすれば、写真撮影会くらいじゃないでしょうか?

 

卒業式自体には目的があるわけでも何でもありません。

 

楽しむための行事なので、楽しめないのなら休んでも別に大丈夫なのでは?という考えです私は。

 

ところで、どれみの場合は、他の魔女見習いたちとは少し状況は違います。
あいこは両親が再婚してくれたので、おじいちゃんの介護も含めてこれから一緒に幸せを作る努力をする。
葉月は得意なバイオリンの道を究めたいと思っている
おんぷは、サクヤさんという自分がなりたい女優増を見つけた。それに向かって頑張りたい。
ももこはお父さんとお母さんについてアメリカに行く。特異なスイーツ作りを続けたいと思っている。
ハナちゃんは、魔女界の女王になって、人間界と魔女界の交流をマジョリカと一緒に頑張る。
というように、それぞれがこれからの生活に関して明確な希望や目標を持っているにも関わらず、どれみにはそういったものって一切無いんですよ。得意なことも特に無いし。
四年間楽しいこと、辛いこともたくさんしてきましたし、それは確かにどれみの中の財産になっているんでしょうけど、魔女になることをやめて人間になる道を選んだ時点で、この四年間の積み重ねも全てゼロになったことになります。
どれみの場合、卒業イコール本当にまっさらな野原に放り出されることなんです。積み重ねたものが大きいほど、反動は大きいでしょうね。

 

そんな状態、いい歳した大人でも心が不安になります。

 

どれみにとっての卒業式っていうのは、処刑宣告みたいなもんです。

 

一方、他の魔女見習いたちにとっては、新しい希望が芽生え始める春の息吹、といったところでしょうか。
そりゃ卒業式が楽しいでしょうし、思い出を作りたいと思うでしょうね。

 

ついでに言えば、卒業式が楽しくない人の気持ちが分からないでしょうね。

 

他の魔女見習い…というかどれみ以外のキャラと、どれみの心情の違いは台詞に如実に表れていたと思います。

「どれみちゃんの居ない卒業式なんて」「どれみちゃんが出ないなら…私出ない」というような魔女見習いたちの台詞が良い例でしょう。あと、ステーキで釣ろうとした家族や、ハナちゃんの「どれみが卒業式に出ないならハナちゃんの秘密を皆の前でバラす」もね。
「学校が大好き」とまで言っていたどれみが卒業式を放棄する心境を理解するよりも、いかにしてどれみを参加させるかっていうところに焦点が当てられているんですよね。

 

これにはざっと二つの可能性が考えられると思いました。

 

・「どれみが卒業式に参加しない」っていう現象は彼女たちにとっては問題なんだけど、どれみが内心どう思っていようが問題じゃないってことです。
・「卒業式=楽しい」という揺るぎない前提があるので、どれみが卒業式に参加さえすれば万事解決すると思っている。

 

どっちも中々厄介なパターンだと思いますけど、私は前者の方ではないかと思っています。

 

はっきりとした根拠は無いんですけど、「どれみちゃんが参加しないと、思っていた(楽しい)卒業式と違ったものになってしまう」っていう悲劇的な感情を読み取ってしまったもので(^^;

 

 

どれみにとって良い卒業式とは何だったのか
まあ最初にチラッと書いたように、四年間の締め、っていう部分が大きい最終回なので、お話として盛り上げようとするとああいう展開になってしまうのは必然なのかなとも思います。

 

だからここで、お話の都合を取り敢えず考えないで、どれみにとってあの一日を良くするためにはどうするべきだったかを考えようっていう話ですが…

私は、取り敢えずサボらせておいて、あとでささやかな卒業パーティーをする、のが正解なのかなと思います。

 

卒業式をサボるっていうのも、個人の大きな決断なので、意思を尊重してあげたいなと思いました。
卒業式が良い思い出になるのか悪い思い出になるのか、それは個人の意味づけの結果だと主張したように、「卒業式をサボった」思い出も、その後の本人の人生の過ごし方で良い思い出にも悪い思い出にもなると思っています。
どうせどっちに転ぶか分からないなら、取り敢えずは本人の気持ちを尊重してあげたいなと。

 

しかし、あの四年間が何の実りも残さなかったと、どれみに思い知らせてやるのも残酷です。どれみがいないと成り立たない特別な場を設けて上げることが必要なのかなと思います。別に盛大にやらない質素なものでも、本当に親しい人たちが集まってするものなら、十分どれみの心の支えにはなると思います。

 

結論
卒業式は卒業式。出ても出なくても大した問題じゃないので、それよりも今の自分を大切にしよう。